画像はシニアの総会で再会させていただいた橋本副会頭(2011年)と次世代社会創造グループの常任理事川島さんを支えていた新井室幹事(当時)の写真です^^
いまでは、FBを通じ、親交を深めさせていただいるお二人ですが、2011年の出向時。とくに予定者の段かいでは、鬼、あるいは敵のように叱咤激励を頂戴した恩人でもあります(*_*)
橋本副会頭は、名古屋での全国大会で卒業生の代表スピーチも務められています。
そのスピーチでは、奥様に
「あなたの子どもは生めない」
との衝撃のカミングアウトをされたことを告白したものでした。
奥様の真意は、結婚後、家庭生活のなかで橋本さんは「ありがとう」っと言ってなかったため、「ありがとう」っといえない子どもを作りたくない・・・っという指摘でした。
その後、悔い改めた橋本さんは、奥様と和解し、ありがとうっと言えるようになり、子宝にも恵まれています。
今では、家訓の唱和も実践しているとのことで、家訓づくりの良き理解者でもあり、そもそも、プログラムの母でもあります。
単年度制をひくJCにあって、1月から運動をスタートさせるためには、予定者といわれる準備段階が非常に重要になっていきます。この予定者の2か月の地獄は、一生わすられないものです(>_<)
家訓づくりは、会頭からの指示にくわえ、家訓の母?橋本副会頭の導きによって制作させることに成功しています。たった2か月の間にプログラムの骨子や、プレゼンの資料、家訓づくりの関係資料に、家訓の冊子、展開するためのプランに、予算的な裏付け・・・トンネルをぬければ、そこも地獄(―_―)!! もう二度と味わいたくない思い出です。
妥協をゆるさない副会頭の指示で、制作段階の家訓づくりプログラムは、次世代社会創造グループの委員長の皆様に集まっていただき、何度となくご意見を頂戴していきました。構成はグチャグチャ、幡谷のしゃべりもグダグダの中、ブラッシュアップに努めました。
このグループの中からは、森本さん(当時・防災系の委員長 現・副会頭)や、小田剛さん(北九州JC)、そして次年度会頭を予定している山本さんも含まれていました。
当時は、議案とセミナーの骨子をつくるのに精いっぱいで、副会頭の指示も、グループの委員長の皆様からの叱咤激励も、届いていない・・・っというか、トンネルをぬければ新しいトンネルが迫る そんな毎日だったことを記憶しています。
JCの議論で、「手法ありき」というコメントを聞いたことはないでしょうか?
家訓づくりについても、この「手法ありき」の議論と戦っていくことになります。副議長として、福井会頭の所信を読み解いて制作したプログラムでしたが、「家訓」と「徳溢れる心」のつながりをプレゼンできず協議段階では、ボロボロでした(*_*)
「穂坂がやりたいだけちゃうん~」との声も多くあり(※当時議長の穂坂さんのこと)
普通なら落とされるところを首の皮一枚で、助けてくださったのがラインの新井室幹事、川島常任、橋本副会頭でした。
厳しい叱咤激励が終われば、今度は最高の味方となる。それがJCの飴と鞭です。結局、わずか2か月で家訓づくりプログラムを制作し、審議可決を頂戴し発信することになりました^^
2011年度は、東日本大震災もあり、1月の時点で審議を取らない限り全国への展開も不可能になっていた年でもありました。
こうして、家訓づくりの父・福井会頭の指示のもと、家訓づくりの母・橋本副会頭の導きを頂戴し、ノーベル平和賞候補作の家訓づくりプログラムは誕生したのです。
家訓づくりの父がいる
家訓づくりの母がいる
そして家訓づくりがここにある~♪
家訓の父、福井会頭。そして家訓の母、橋本副会頭に改めて御礼申し上げます。
っていうか、「いいよ~家訓!」っとFB上で、声掛けを頂戴したのが今年のはじめ。唱和をはじめてから家族が変わってきたそうです。
・・・っと、今まで、唱和はしていなかったそうです(*_*)
・・・5年かけ、ようやく橋本家に家訓をプレゼントすることができました(-_-;)
お贈りした家訓本。東京オリンピックまでにお読みいただければ幸いです。
今後とも家訓の母として、見守っていってください<m(__)m>
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