田中角栄の家訓

田中角栄家訓

『和して流れず、明朗闊達』

 

戦後の日本の政治家の中でも、田中角栄は、極めてユニークな存在です。

 

尋常高等小学校を卒業した後、徒手空拳で事業をはじめ、28歳で政界に進出。39歳で岸内閣の郵政大臣に就任後は、閣僚、自民党幹部を歴任し、昭和47年、54歳で宰相にまで昇りつめました。おなじく農民から天下人となった秀吉を思い出せる出世ぶりに当時は、今太閤といわれた、快男児です。

 

しかしながら金権政治に塗れ、公私ともに莫大な金を使ったことも事実なようです。なぜ角栄はそれだけの金を集めることができ、また使うことができたのかを研究していきます。

 

角栄の人生は大正754日、新潟県刈羽郡二田村に始まります。

祖父の捨吉は農業の傍ら宮大工の仕事をし、父の角次は牛馬商を営んでいました。

角栄というと、小学校卒という学歴が取沙汰されるが、成績はよかったようです。教師からも柏崎の中学への進学を勧められていたくらいだが、それをあきらめたのは、父親の事業の不振が原因でした。

 

事業の失敗後、苦労した母親に恩がえしをするためにがむしゃらに働き、事業家として成功。20代にして土建業を大成功させたあとは、政界に進出します。

 

マスコミは、政治家の資質。とくに金の面でのクリーンさを求めます。

しかし、ぼくが、政治家に求めるものは、国家の安寧です。

安寧とは、穏やかで、なおかつ誰もが豊かに暮らせる社会のことです。

 

角栄の失脚後、金脈政治は叩かれる対象となり、数々の規制が進み、政治の社会はガラス張りになりつつあります。ただし、クリーンになったのと引き換えに、大人物が生まれてきません。

 

今、政治家になるためには、政治家の家に生まれるか、シコシコ勉強ばかりして、官僚になり、うまく周囲に担がれて政治家になるぐらいしか道がありません。社会が多様性していくのに、政治の世界を支える人脈は、なぜか細まるばかりです。

わたしが求める人物像とは、地に足がついた政治家。もっというと、自分の手と足を汚し金を稼げる政治家です

 

クリーンであっても、街全体が貧乏のままであれば、その潔癖さはただの自己満足です。逆に、悪者であり、家に錦鯉をかうような政治家は、自分の懐をあたためるだけでなく、地方を豊かにしてくれる場合が多い気がします。

 

例えば高速道路をつくるとき、いまは地権者にお金をはらい淡々と工事がすすみます。地方は便利になる一方、ただの通過点になり、あるいはストロー効果で、富が東京に吸われてしまう結果になっています。

しかし、悪い政治家がいれば、工事は談合し、造成に使用する土をとるために山を切り崩し、ついでに、切り崩した山に工業団地を誘致します。1粒で2度、3度おいしい工事のなかで、地方におちるお金は何倍にもなり、ついでに雇用まで生まれます。

 

お役所のやる事業は縦割りです。道路をたてれば道路だけ、港をつくれば、つくるだけ。そこに知恵もなければ、人もいません。地方における悪い人とは、実は優秀なコーディネーターと言い換えることもできます。いまも怪しげなコンサルティングはたくさんいますが、プロジェクトが終わればサヨナラです。一方悪い人は、一度吸い付いた利権を手放しません。つまり、とことん面倒も見る!ともいえるのです。

 


前述の田中角栄は、昭和を代表する悪い政治家です、ではどれくらい悪い奴なのか改めて、その実績をふくめ研究していきます

 

①新幹線を新潟までひっぱった

 

②道路特定財源を発明し、車社会を実現した

 

③年金制度もつくった

 

④中国との国交正常化を実現した

 

議員立法33本というのは未だ破られていない記録です。そして当時成立させた法案をもとにつくられたのが特殊法人「道路公団」です。とくに、昭和28年に制定した「道路整備費における財源等の臨時措置法」は、画期的なもので、ガソリン代に道路建設用の税金をかけることで、一般会計とは別にお財布をつくっちゃいました。2002年にはガソリン税は約5兆円です。(『臨時』といっているのに、60年もひっぱっているのも異例ですね^^;)

 

また年金制度は、積み立て方式から賦課方式に変更されています。この点は、現在の年金システムの崩壊を招いたとされていますが、年金の積み立て方式では、フォローしきれないお年寄りを救った功績は計り知れません。いっせいのせっで年金システムをはじめると、最初にもらえる人は、どこにも存在せず、おじいちゃんおばあちゃんは、いつまでたっても無収入のままです。角栄の時代は、子どもたちが多いピラミッド型の人口形成でした。ただし、角栄の高い志を、少子高齢化委社会が進むなかでも維持したことで破たんがはじまっています。

 

そして、最大の功績ともいえる中国との国境正常化です。いま中国と日本の貿易をしらべると日本の黒字。つまり、お得意先だということがわかります。まだまだ二国間に課題はありますが、中国では、井戸を掘った人を忘れないとの格言があり、いまだに日中の友好のシンボルとして田中角栄は大事にされているそうです。

 

また田中角栄は、一流の人たらしだったことも知られています。たとえば100万円の借用を願い出た議員には300万を渡したそうです

 

派内の若手の議員が女の不始末の清算で、今日中にどうしても100万円が必要ということになったとき、その議員は田中のもとに電話をかけ、100万円の借金を申し込みました。話半分まで聞いていた田中は「わかった」と一言。30分もすると、田中事務所の秘書が紙袋を届けにきた。その議員が開けてみると、本人が申し込んだ額よりも多いなんと300万円の現金が入っていました。

 

そして田中の筆による一枚のメモが入っていたそうです。

 

一、まず100万円でけりをつけろ

二、次の100万円でお前の不始末で苦労したまわりの人たちにうまいものでも食わせてやれ

三、次の100万円は万一の場合のために持っておけ

四、以上の300万円の全額、返済は無用である。

 

 

ひとたらしの 角栄は、中央官庁のお役人をあつめた演説では、こんなことをいったそうです。

「やれ!。責任は、このワシがとる。以上!」っと・・・


田中角栄の政治にかける動機は、素朴なものです、雪国で暮らす地方の苦しさをはらすこと、そして苦労をかけた母親に親孝行をすることです。

角栄が総理大臣になったとき、テレビの前で汗をかく息子をみて、母・さんはブラウン管の息子の汗をぬぐったそうです。

 

どこまで本当か分からない角栄伝説の数々ですが、尾ひれ歯入れを含め、人物が噂を大きくしているように感じます。

 

「人間は、やっぱり出来損ないだ。みんな失敗もする。その出来損ないの人間そのままを愛せるかどうかなんだ。政治家を志す人間は、人を愛さなきゃダメだ。東大を出た頭のいい奴はみんな、あるべき姿を愛そうとするから、現実の人間を軽蔑してしまう。それが大衆軽視につながる。それではダメなんだ。そこの八百屋のおっちゃん、おばちゃん、その人たちをそのままで愛さなきゃならない。そこにしか政治はないんだ。政治の原点はそこにあるんだ。」

 

ドブネズミみたいに美しくなりたい・・・ 

『和して流れず、明朗闊達』(田中家家訓)

 

田中角栄の生きざまに脱帽です。

出てこい悪い奴!そして日本を豊かな国にしていってくれ(*_*)