228年目の「報徳の心」~二宮尊徳の足跡をおって~















人は、空気のように当たり前に存在するものを説明するのが苦手です。

例えば、ひらがなの「あ」。これをあなたは、どうやって説明できますか?

同じように、二宮尊徳先生の功績を語るとき、その実績は、日本人にとって当たり前すぎて、説明しにくいものになっています。


一般的には、二宮尊徳と聞くと、薪をせおいながら勉強をした銅像のイメージが先行しています。その半生は、小田原を中心に、農村の振興につとめたことが評価され、その後関東地方の各地に出向き、多くの功績をのこしたことも知られています。


ただし、これは、ウィキペディア風の説明であって、偉人・二宮尊徳の功績のほんの一部分にすぎません。生誕から数え228年たった今、改めて、尊徳先生の遺徳を見直す必要があります。そのキーワードこそが、「報徳の心」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

228年目の「報徳の心」とは?

 

幡谷の考える「報徳の心」

① 道徳とは実践である

② 一隅を磨きあげる

③ 「ありがとう」という「ありがとう」と言われる人間になる

 

=解説=

①は、「道徳は実践である!」というシンプルで忘れてはいけないキーワード

②は、自らの本分を知り、与えられた役割をまっとうする意味。お母さんは、お母さんの役割を、サラリーマンであれば、おのおの仕事を誠実にこなすことが、一隅を磨きあげるっと表現できます

③は、善い行いをしていかないと「ありがとう」っと言われないとの意味

 

 

日本という国には、たくさんの不思議があります。たとえば、石油も、鉄も出ないのに、世界一性能の商品を世界中に出荷することができます。これは、資源はないが、人がいるっという証拠です。自動車を製造する際には、10万点もの部品があると言われます。エンジンや、シャーシーなどはもちろん、小さなネジ1つまで、たくさんの社員さん、そして下請け先のおっちゃん、おばちゃんが、心をこめ、丁寧に仕事をしてくれるからこそ、世界に誇る商品がくみあがるのではないでしょうか?

 

尊徳先生は、こんな言葉をのこしています。

「世の中は、知恵があっても学があっても、至誠と実行がなければ、事は成らない。」


二宮尊徳が生きた江戸時代は、稲作が主要産業です。尊徳先生は、農作業のなかに至誠実行を求めました。そして21世紀、日本の主要産業は、車であり家電になりました。農作業の中に求めた至誠を、いまは、ネジ1つ、部品1つに求めるからこそ、世界に賞賛される日本の輸出品が生まれつづけています。

 

日本の資源は、鉱物資源でなく、【ひと】なのです。そんな当たり前すぎて、気づかない日本人の特性をここで列挙してみます。

 

・まじめ

・人に迷惑をかけない

・協調性がある

・がまんつよい

・礼儀ただしい

 

 

そんな日本人の特性をつくったものが、二宮尊徳のいう「報徳の心」です。そしてこの特性が当たり前すぎて、分からなくなっているっとも言えそうです

 

あらためて、「報徳の心」の概念を考えてみます。

報徳とは、徳に報いること。これを家訓ニストは、道徳とは実践であるっというキーワードに加え、自分の本分を守ること、そして、ありがとうという。そして「ありがとう」と言われるに人間になるっと解釈しました。

 

また、小田原の報徳博物館の佐々木館長は、こんな詩をよせ「報徳の心」を説明されています

 

「万象具徳」(ばんしょうぐとく)

どんなものにも よさがある   どんなひとにも よさがある

よさがそれぞれ みながちがう よさがそれぞれ みなちがう

よさがいっぱい かくれている  どこかにとりえが あるものだ

もののをとりえを ひきだそう  ひとのとりえを そだてよう

自分のとりえを ささげよう 

とりえととりえが むすばれて この世は 楽しい ふえせかい

 

感謝する気持ちを表す「ありがとう」の言葉は、気持ちのいい言葉です。そして世の中は、たくさんの「ありがとう」で出来ています。

 

お茶碗にほくほくの白米をよそいご飯をたばるとき、どんな「ありがとう」があるでしょうか?

 

ご飯を炊いてくれたお母さんに「ありがとう」

働いて、お米を買ってくれるお父さんに「ありがとう」

お百姓さんに「ありがとう」

太陽、酸素、水、風に「ありがとう」

 

 

もっとも尊い行いは、「ありがとう」の感謝の気持ちを行動にかえること、ご飯の例では、「ご飯粒」を残さないことが、求めらます。

そして、その御恩を次の誰かに返すことも重要です。恩の循環社会ともいえる地上の楽園は、確かにこの日本に存在しています。

 

たとえば、「靴を揃える」「人に迷惑をかけない」っという素朴な価値観も、利他の心の現れだと家訓ニストは考えます。なにより、お父さんが、自分の仕事を頑張ること、お母さんが、育児に心をくだく日常そのものが、報恩の心で溢れています。


すごいぜ!日本人。そして、もっとすごいぜ、二宮尊徳先生^^

尊徳先生をはじめ多くの先達の教えがあって、今わたしたちは満ち足りた生活をすることができます。

では、報徳の心を伝えるために、私たちは何ができるでしょう?まずは、先達に感謝すること、それは教科書にのっている偉人だけでなく自分のおじいちゃん、おばあちゃんへの感謝です。そして、その御恩を自分の子供。そして社会のために、お返ししましょう


仕事を通じ、あるいは育児を通じ、おのおのの場所をピカピカに磨き上げることが、恩を返し世の中を豊かにしていくことにつながります


家訓二ストも、二宮尊徳先生の心にふれ、心が洗われる気持ちです。今後は、ビジネスはもちろん、家訓をつうじ、世の中にちょっこり貢献していきます。