あなた自身が子供のときのことを思い出してみてください。母ちゃんから、機関銃のように、たくさん怒られていませんでしたか?
今考えると、理不尽な叱られ方もありますが、唯一感謝しているのは、食事のマナーについてです。
ぼくが泣いても、ふてくされても、鉄拳制裁で、厳しくマナーを叩きこまれました。おふくろが大事にしてほしかったものが、今なら理解できます。それは、おふくろ自身が、おばあちゃんから、そして、もっと上のご先祖さんから受け継いできたものです。幡谷家の食卓にはたくさんのルールがありました・・・
・ひじをついてはだめ
・ながら食いはだめ
・お箸をきちんと持つ
・ご飯粒をのこさない
・箸わたしはダメ ・・・etc
人間性が一番現れる場面は、食事の場面といわれています。立派な紳士であっても、あるいは美貌の持ち主でも、箸の持ち方ひとつで、なんか気になってしまうことがよくあります。そんな、食事の場面を通じて、躾の大切さを研究してみたいと思います。
箸をきちんと持てますか?
宴会の時、魚の食べ方でその人の人間性をみるという社長がいました。骨についた身の食べ方、そして箸の持ち方。その社長さんは、宴席での作法が気に入り数千万の契約を決めたそうです。人間性は意識できない無意識の部分で出てきます。食事の際のマナーは、まさに無意識の気遣いです。付け焼刃では、隠せない人間の本質的な部分が食事の作法で、暴露されます。そして、そんな作法は、ご家庭の中でしか身につきません。繰り返し繰り返し、手直ししていくことで相手に失礼のない作法が身に付きます。
ユネスコの文化遺産にも登録された和食には、お子さんを育てるなかでたくさんのメリットがあります。単に栄養をとるというだけでなく、作法や、団らん、そして舌を鍛える効果は抜群です。舌には、味覚をつかさどるミライという細胞があり、これは子どものときに形成されるそうです。美味しいものを感じる能力は10歳前後で固まってしまいます。こどもに豊かな人生を歩んでもらうために、美味いものを子供の時は食べさせておく必要があります。
作法とは相手への気遣い
作法というのは、突き詰めて考えれば、他人への気遣いです。躾を通じて学ぶ、作法は、他人の気持ちを考えて行動するための第1歩です。相手に不愉快な思いをさせないこと、あるいは、つくってくれたお母さんへの感謝する心を、作法を通じて学んでいきましょう。そして一番、駄目な場合は、この「気遣い」がまったくできていないお子さんです。人の気持ちを考えて行動するという発想を、最初から持っていないとしなくてもいい苦労をすることになっていきます
個性とは型の先にある
日本の伝統芸能は、師匠を手本にして繰り返し型を学んでいくものです。そして、その型が身についたとき、個性というものが生まれます。また江戸時代の教育も、素読中心の勉強でした。これは、先生のあとを追い、論語などを唱和していくものです。最初は意味が分からなくても、暗記できるくらい唱和していくことで、手習いソロバンと例えられた、生きていく上で重要な最低限のスキルを身に着けていったそうです。これも、「手本」と型の関係性を現すエピソードではないでしょうか?
厳しい躾で育ったというビートたけしさんは、教育について、以下のような持論をのべています。
子供の教育で大切なのは、タガのはめ方と、外し方なのだ。タガを外しすぎれば、桶はバラバラになってしまう。タガをきつくはめすぎても長持ちしない。自由に何でも好きなことをしなさいと言われたって、何をしていいかわからないという子供が多いんじゃないか。自由というのはある程度の枠があって初めて成立する。なんでもやっていいよという枠のない世界にあるのは、自由ではなくて混沌だ。子供に自由の尊さや、喜びを教えたいのなら、きちんとした枠を与えてやるべきなのだ。
個人という言葉がなかった明治までの日本
1884年(明治17年)、今までなかった「個人」という言葉が誕生します。それまで日本をはじめ中国などの東洋社会では、個人を現す単語はなく、●●さんちの△△兵衛と表現していたようです。つまり、「個」でなく、「家」あるいは集団のなかで、価値観を育んでいたことがわかります。いまだに日本語で、アイデンティティという言葉の対訳がないように、英語にも、「兄」や「弟」という表現はなく、ひとくくりに「ブラザー」とされてしまいます。また。「先輩」「後輩」という概念もないようです。個人を大事にしてきた西欧と、「家」を大事にしてきた東洋社会の違いがわかる事実です。
家をふくめ、ことなる個性をもった人間が集団を形成するとき、集団内のルールや、和を守る行動が求められることになります。日本において、相手を気遣う文化、そして躾を大事にしてきたことは、文化的な背景があるのです。
個性を大事にする教育について
グローバル化が進む世界経済にあって、個性が大事であることに異論をはさむ余地はありません。ただし、個性を育てる手法が間違っているのが課題です。個性をのばすために「なんでも好きなことをやれ!」と言われることほど、残酷なことはありません。ビートたけしの指摘するように、「枠」にはめてあげる教育が求められています。子どもに嫌われても、徹底して、躾、そして相手を気遣うことの大切さを教え切りましょう。お子さんが反発したとしても、型を身に着けたその先に、お子さんが持っている本当の「個性」が芽をだすと家訓二ストは考えます
あらためて考える「躾」の大切さ
箸の持ち方から、一見関係ない「個性」の伸ばす効能まで、躾の大切さを分かっていただけでしょうか?
お子さんのお箸の持ち方は、しっかりできていますか?
日本で、昔から受け継いできた習慣には、たくさんの知恵が詰まっています。あなた自身が親からやらされたように、型にはめてあげる教育を実践ください。そして、躾で一番大事なことは、育児本より「手本」。お父さん、お母さん自身がマネをされる立派な大人であることが、一番の教科書になるはずです
大人である我々が、しっかりとした「手本」をみせ、叱る時は、叱り。褒める時は褒めながら、社会にでて恥ずかしくない「躾」(マナー)を子供たちに身に着けさせていきましょう
きれいな箸の持ち方をしていますか?
ぼくは、自分で意識しないうちに、正しい箸の持ち方ができていました。たぶん、お袋がそうやって育ててくれたのでしょう
そもそも躾とは、親元を離れたとき、世間様に恥ずかしくないように親が仕立ててくれる最高のプレゼントかもしれません。お子さんが笑顔につつまれた素敵な人生がおくれるように、お父さんお母さん、ぜひ躾を大事にしていってください。
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