おばあちゃんの知恵でお手軽子育て(推敲中)

家訓づくりの本の生原稿その③

おばあちゃん知恵(仮)






 

子育てに悩むお母さん。安心してください、みんな悩んでいます。それは現代に暮らす我々だけでなく、おばあちゃんも、そのまたおばあちゃんも、みんな悩んできたことなのです

温故知新、おばあちゃんの知恵の中には、子育てを助けてくれるヒントがたくさんつまっています。この章では、そんな知恵の中から、子育てに役にたつ情報を紹介します

 

① おばあちゃんの知恵

夕食時のファミレスで、1組の家族連れが賑やかに食事をされていました。

 

そんな時、お子さんがコップの水をこぼしてしまいました。

お母さんは、「だからいったでしょ!」と怒ります。しかし、一緒にいたおばあちゃんの一言は、すごく優しいものでした。

 

「怪我はなかった大丈夫? 次はきおつけようね^^

 

 

ガミガミ怒るお母さんに比べ、おじいちゃん、おばあちゃんの優しさと、人望は半端ありません

 

ちょっと前の生活を想像してみると、電化製品や、テクノロジーは私たちの生活を豊かにしています。エアコンのない生活に耐えられますか?携帯をもたずに待ち合わせできますか?ご飯をたくだけで2~3時間。あるいは洗濯するだけで一日が終わってしまうことでしょう

 

例えば、昭和49年生まれの幡谷の子供のとき(6歳ごろ)の生活環境を紹介すると

 

エアコン(ない)

テレビ (ガチャガチャ)

電話  (黒電話)

携帯  (もちろんない)

ファミコン(ない)

パソコン(もちろんない)

 

こんな感じです。

 

これが、平成生まれの世代に当てはめれば、当時、手に入れることのなかった生活用品が、充足されていることが分かります

 

そして、おばあちゃん世代の生活環境は、いまでは信じられないものです

 

 

電気  (ぎりぎりある)

ガス  (ない)

風呂  (あるところには、ある)

水道  (都会にはある)

 

親父やおふくろの子供の頃は、朝ごはんを食べるのも一苦労、朝4時や、5時におきて、薪をくめ、釜に火をつけ、ごはんを炊くところから始まります

 

洗濯機はないので、手で洗う。脱水は人力です。車もほとんどありません。

 

 

生活のあらゆる面を豊かにしてくれた電化製品。しかし、100年単位でみると増えたものだけでなく、なくなったものもあります。

それが、おじいちゃん、おばあちゃんとの暮らしです

 

全国的に核家族化が進み、ほんらい日常のなかで学んでいった躾や、知恵といったものが断絶してしまったとしたら、なんとさびしいものでしょう。もし、育児の中で足りないものがあるとしたら、おばあちゃんの知恵と優しさであると断言できます。

 

とはいっても、今更同じ家に住む選択も、嫁と御姑さんのバトルは避けたいあなた。そんなあなたに家訓は、ぴったしです

 

家訓をつかって、おばあちゃんの知恵を上手に子ども達に渡しましょう

故郷にいるおばあちゃん。あるいは、すでに他界された方であったとしても、家訓をつかえば、一緒に子育てできるはずです。

小難しいことをいっても、猿から人間に進化して10万年。そのほとんどの時間、人類は、おじいちゃん、おばあちゃんと暮らしてきたのです。アフリカでは、「老人の死は図書館が1つなくなること」とのコトワザがあるそうです

 

あなたの家に、家訓をつかってエアーおばあちゃんを導入し、子育てをみんなで楽しみましょう

 

 

② おばあちゃんの知恵家訓「ごはん粒を残すな」

 

子どもの頃、食が細かった幡谷はどうしても最後まで夕食が食べきれませんでした。烈火のごとくどなる母に対し、おばあちゃんは、

 

「ご飯粒だけは残しちゃいかんよ」とぼくを諭してくれました

 

また同じく「メロンはすすってもいい」という不思議な言い伝えも残しています。

子どもって、悪いことが大好きです。子供のころ、おばあちゃん公認で一緒にメロンの汁をすすっていました^^

 

育児の中では強弱をつけることも時には大事です

メロンはすすってもいいの反対語は、メロン以外は、すすってはいけないという意味です

 

結局、人生経験豊かなおばあちゃんの知恵に、幼い日の幡谷も踊らされていたのでしょう

 

よく考えると、ただだのメロン好きだった可能性も否定できませんがおばあちゃんの知恵は、いろいろな面で生活を豊かにしてくれます

そして、「ご飯粒を残さないこと」が、何より大事であるということを無意識のうちにすりこんでくれたのかもしれません。

 

ご飯粒を残さないというメッセージは、おばあちゃん自身、そのうえのおばあちゃんから言われていたと思われます。そして、そのおばあちゃんも、そのうえの・・・

 

世の中には大事にしなくてはいけないことがたくさんあります

ただし、本当に守らなくてはいけないことは、ちょっとしかないとも思います

 

「ご飯粒を残さない」そんなシンプルなメッセージを日本人は何百年も言い伝えてきています。おばあちゃんの知恵は、尊いものですね

 

 

③ おばあちゃんの知恵家訓「いただきます」の本当の意味

 

学校の給食でごはんを食べる際、「いただきます」という事に、ご家族からクレームが入ったことがあるそうです。給食費を払っているのだから、「いただきます」という必要はないとの主張でした。

 

このお話の矛盾点を、あなたは説明できますか?

このご父兄は、「いただきます」=ただでもらっている と理解しているのでしょう。しかし、「いただきます」にはもっと深い意味があるのです。

 

日本人なら日本人らしく、万物に感謝し、「いただきます」と大きな声で、楽しくごはんを食べたいものです。では、あなたは「いただきます」の本当の意味をいえますか?

 

家訓づくりのセミナーでも、必ず紹介している「いただきます」の意味を改めて考えてみましょう。

 

西欧や、他の地域でも食事の際にも、「いただきます」とよく似た祈りをささげる習慣があります。 たとえば、ミッション系の幼稚園に通っていた家訓ニストは、「天にましますわれらの父よ 願わくば吾を救いたまえ・・・アーメン」というセリフを暗唱したのち、ご飯を食べていました。

 

 

しかし、日本に古くから伝わる「いただきます」とは、ちょっとニュアンスが違います。そして、この違いこそが、日本を日本とたらしめる、とてつもない知恵なのです。

 

キリスト教やイスラム教の文化圏では、神さまは、ひとり。食事の際、感謝する対象も当然一人です。 しかし、日本の「いただきます」には、たくさんの対象が含まれます。

 

 

つくってくれたお母さん

働いてくれるお父さん

お米を育てたお百姓さん

太陽、水、風などの自然

お米という植物のもつ「命」

 

 

古くから日本には、米には7つの神様がいるといわれ、米粒を残すと目がつぶれるとの言い伝えもあるそうです。西欧と日本の違いの最初の点は、八百万(やおよろず)と表現される多様な神様との向き合い方の違いです。

 

そして、外国と日本の違いの二点目は、神様への感謝の表し方の違いです。

 

西欧では、神様への感謝は、教会にいったり祈ったり、絶対であるひとりの神様と向き合う感謝が多いようです。しかし日本では、米一粒だけでも7つの神様がおり、いちいち祈ったりできない状態です

 

では、日本人はどうやって、「感謝」を表現してきたのでしょうか?

答えは、「残さず食う」というシンプルな答えです。

 

 

植物だって1つの命。その命を奪った以上、残さず食べることが、最低限の礼儀である!と、おばあちゃんも、そのまたおばちゃんも、ずっと前から言い伝えてきました

 

 

そして感謝を行動に還元する文化は、「おかげさま」という言葉でも説明することができます。「おかげさま」を漢字で書けば「お蔭様」となります。

 

④ おばあちゃんの知恵の家訓「おかげさま」の意味

カゴに乗る人、かつぐ人。そのまた草鞋(わらじ)を作る人

我々の生活は目に見えないたくさんの善意が積み重なってできたものです

 

電気、水道、ガスはもちろん、コンビ二に並ぶ弁当も、あなたが乗っている車だって、対価としてお金は払ったとしても、目にみえぬ、名前も分からないたくさんの人の「陰」で、地球はグルグルまわっています。

 

じゃー「お蔭さま」にはどう感謝を表せばいいの?

 

答えは簡単。あなた自身が「影」となり。自分の与えられた役割を、精いっぱい演じることが大事になるのです

 

ひとに迷惑をかけない

お父さん、お母さんから、「人に迷惑をかけないこと!」と言われたことはないでしょうか?

 

僕自身、めんどくさいな・・・っと思って聞いてましたが、今は違います

 

 

「ひとに迷惑をかけない」こととは、「お蔭様」の論理の一対の考え方であると確信しています。

 

 

地球上すべての人が、「お蔭様」の気持ちをもち、「ひとに迷惑をかけない生き方」を実践し、毎日のごはんを「いただきます」っと笑顔で食べる。

 

家訓二ストが、考える地上の楽園とは、そんなありきたり日常が、世界中のひとが甘受できる世の中のこと夢想しています

 

 

100の説法、屁1つ。

大事なものは、行動です。

「いただきます」と元気に発して、ご飯粒をのこさない毎日をすごしましょう^^

 

 

⑤ おばあちゃんの知恵?迷信ランキング

家訓づくりのセミナーの中では、お父さんお母さんから言われたことを書き出すワークショップをとりいれています。できるだけ等身大の言葉を思い出してもらうようにしており、

 

「風呂にはいれ」「めしをのこすな」「早く寝ろ」・・・

 

ありふれた言葉ばかりですが、そんな言葉のなかに、本当に大事なものが眠っている!と家訓二ストは考えます。

 

そして、親からの言い伝えの中には、おじいちゃん、おばあちゃんから言われたものもたくさん伝わっています。生活様式もかわり、今となっては、意味のわからない言い伝え迷信部門?も充実してきたので、家訓ニスト社会シリーズ特別版 「迷信ベストテン」として発表させていただきます。

 

 

■ランキング■

 

1位 「夜くちぶえを吹くと泥棒がくる」

 

解説:口笛が泥棒を手引きする合図であったいう説。また口笛がいけない霊をひきよせてしまう説があるようです。後者の方が逆に怖い(*_*)

 

2位 「夜に爪をきるな」

 

解説:夜に爪をきる→世を詰める→親の死に目にあえなくなる・・・という変換らしいですが、実際は、電気がなかった時代の知恵かもしれませんね

 

 

 

3位 「お盆に海にいくな」

 

解説:お盆になるとクラゲがでる・・・という意味だと思っていたら、あの世に帰る霊に連れてかれるぞ!という意味のようです。ちなみに海がない地方では、海でなく川になるようです。

 

4位 「上の歯がぬけたら縁の下へ 下の歯が抜けたら屋根の上へ」

 

解説:丈夫に生えるようにっとおまじないの意味だと思います^^ ただマンション住まいの家庭では実践できませんね^^;

 

 

5位 「靴をおろすときは朝。新しい靴を下すときは、炭をつけて」

 

解説:これも怪我防止のまじない?だと思っていたら、ご遺体を外に出す際、新しいタビをはかせていた名残で、生きている人間は汚してからじゃないといけない・・・らしいっす。嫁さん曰く、足がむくんでないからじゃない?とも言ってました。

 

 

6位 「箸わたし、たがい箸もだめ」

 

解説:忌きらう類のものだと思います。ご葬儀の際の風習で、箸わたしをしたり、あるいは、たがい箸(長さの違う箸)をしたり。こうしたことを日常生活ではしてはいけない!っということです。

 

 

7位 「霊柩車がきたら親指を隠せ」

 

解説:親の死に目にあえない!という迷信です。親の死に目に会えないシリーズはこの他にも充実していて、逆をいうと、親の死に目に会えない以上の不幸はない!という戒めにもつながるようです

 

 

8位 「夜、蜘蛛をころすな」「家にきた蛇をころすな」

 

解説:害虫をたべてくれる?意味もあるようですし、単に妖怪よけ?の意味もある気がします。最近の家では、蛇はでないよ!っとお考えの読者の皆様、平成25年 水戸市元吉田はじゃんじゃん出ますよ(><)

 

 

 

9位 「お米をのこすと目がつぶれる」

 

解説:お米を残しても目はつぶれません!っが、お米は日本人にとって特別な食べ物。「いただきます」という意味も、お百姓さんにいただきます。神様にいただきます。命をいただきます・・・っとたくさんの意味があります。共通していえるのは、感謝の気持ちを行動でしめせ!つまり、最後までおいしくいただけ!という戒めに違いありません

 

 

 

10位「北枕でねるな!」

 

解説:家訓づくりプログラムで奈良JCさまに伺った際、ほぼほぼ全員が、「北枕でねるな!」と書いてくれました。これはお釈迦様の入滅の際、北まくらで寝ていらっしゃったことに由来します。今では、磁気の影響で、北まくらで寝る方が健康だという説。また同じく仏教国の台湾では、逆に北枕でねろ!という格言があるそうです

 

 

 

もうすぐトップテン

 

11位「コーラをのんだら骨がとける」

 

解説:炭酸飲料への根づよい差別意識?の象徴です。実際、10円球をいれると表面がピカピカになるいことから、「骨がとける!」と誤解を生んでいます。コーラをふくめ炭酸飲料は、微炭酸。つまり酸性ですので銅でできた10円球の表面ぐらいには作用します。結論として骨はとけません! ただしそれ以上に太ります(-_-;)

 

 

番外 「パンの耳を残すと耳切れになる」

 

解説:母のセリフです。小学生当時、実際耳切れをしていた訓二ストは、おそろしさのあまり、パンの耳を残さないようになりました・・・っが、耳と耳の相関関係がわかりません(-"-) 全国で、同じセリフをいわれた同志を探してきましたが、いまだ出会っていません。たぶん、母の創作迷信です。最近、「なんであんなこと言ったの?」っと聞いたら、きっぱり「わたしはそんなことを言ってない!」と言われました(T_T)/~~~ 母は強し

 

 

ランキングにのらないあなたの迷信を教えてください!

巻末コラム 【地蔵効果】

 

【磁場】というものあなたは信じますか?

 磁場に近い言葉として、パワースポットと置き換えるとイメージしやすいかもしれません。家訓二ストは、目に見えない磁場の力を信じています。

 

目に見えない力、【磁場】。それは岩や、泉だけなく、人の間にも派生するものではないでしょうか?

 

とくに、おばあちゃんの【磁場】(パワー)って半端ない...

ビリビリ磁場を出していていた家訓二ストのおばあちゃんの思い出を書きたくなったので、【地蔵効果】として紹介させていただきます

 

 

 

地蔵効果とは?

 教育評論家の松居和さんに、ある保育園から

 

「最近、園児が急に荒れるようになってしまった・・・ 原因もわからず苦慮している」

 

と相談があった時、松居さんは、最近、高齢となり痴呆が進んでしまった園長先生が退任されことを聞き、この元園長先生を園の中で生活してもらうようにアドバイスすると、その後、園の中に秩序が生まれたっという話が元になっている理論です

 

何をするわけでもなく、おじいちゃん、おばあちゃんが、ニコニコその場にいてくれるだけで、子供たちは安心するという嘘のような本当の話。これが「地蔵効果」です

 

テレビや、電化製品。ゲーム。そして、電気、水道、ガス。昔なら家族が助け合い肌を寄せ合うように暮らしてきた原風景が、戦後50年の間に激変しました。心の荒廃といわれる事が多いですが、これは、心が変わったのではなく、環境が心を変化させたと家訓二ストは考えます。 それは人間中心の磁場が、電化製品に取って代わられたとも表現できます。

 

 

「家訓づくり」で皆様にお届けするものは、今まさに消えようとしている心の原風景です。

 

 

いまさら、電化製品のプラグをぬき川に洗濯にいけない以上、家訓をつかって、カリソメでもいいおじいちゃんがいて、おばあちゃんがいて、地域人の笑顔が溢れるコミュニティーを追体験してもらうことが重要なのではないでしょうか?科学では証明できない「磁場」、そして「地蔵効果」ですが、家訓二ストにはなんとなく思い当たる節もあります。

 

 

 

 

家訓二ストの祖母は、茨城から遠く、鳥取で暮らしていたため、数えてみても4~5回ぐらいしか顔を合わせることもありませんでした。また90近くになってから痴呆も進み、顔を合わせても、誰が誰だか分からない・・・そんな晩年を過ごしていました。 

 

そんな頃、鳥取によせてもらい、丁度家をでるタイミングでおばあちゃんに、サヨナラを言いに行ったときのことです。 

 

 

ぼく:「おばあちゃん、元気でね!」 

祖母:「は~ どなたか分かりませんが、ありがとうございます」 

 

ぼく:「・・・ じゃ、名古屋に帰りますね^^;」 

 

祖母:「・・・!?」 

祖母:「名古屋ですか? 名古屋には孫がおりますけん 面倒みてやってください・・・」

 

 

ぼくっ「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(T_T)

 

 

 

その時、ぼくは堰を切ったように涙が溢れ、声をもらして泣き崩れました。サラリーマン生活を送っていた家訓二ストも、どこか背伸びをし、心身ともに疲れていたのかも知れません。自分が誰かもわからないおばあちゃんが、孫である僕の行く末を案じてくれていたっということ。その安心感。そしてその尊さ。そして自分の不甲斐なさ・・・

  

 

おばあちゃんが、家にいる。あるいはおばあちゃんが、心にいる。 

 

その効果は、家族にそして子供たちに、安心感という恵みをもたらしてくれるのでしょう。「地蔵効果」恐るべしです!

 

おじいちゃん、おばあちゃんは、いつも優しい。

 

そして、たとえぼけちゃっても、ニコニコしているだけで、子供に安心感が付与されます

 

ひとの心に薬はききません。

ひとの心に作用するのは、「必要とされる」ことなのではないでしょうか?

 

核家族化がすすみ、おじいちゃんおばあちゃんと一緒に暮らせない時代です

 

ひとは、物ではない。はれものをさわるような、高い塀に囲まれた育児より

こども達にとっては、いつも優しく、ときにゲンコツをくらうおじいちゃん、おばあちゃんと一緒にすごす時間は、育児に悩むご家族には一番の特効薬になります

 

理屈はあとでつければいい!

【地蔵効果】は、家族に平穏をとりもどすキーワードだと確信しています。

 

小難しいことをいっても、猿から人間に進化して10万年。そのほとんどの時間、人類は、おじいちゃん、おばあちゃんと暮らしてきたのです。

アフリカでは、「老人の死は図書館が1つなくなること」とのコトワザがあるそうです

 

おじいちゃん、おばあちゃんは、社会の財産です。この財産を、おなじく未来の担う子供たちに振り分けることって、とっても自然な発想だと家訓二ストは考えます。

 

現在、9割以上の家に家訓がなく、意識しないとおじいちゃん、おばあちゃんの知恵が継承できない時代に突入しています。そして、本来、家訓なんてなくても、おじいちゃんの言葉、おばあちゃんの背中が、生きる中での指標になっているべきなのです。

 

そして、人生を生きる中で必ず立ち会わなくてはいけない「死」という問題にも、身近に「死」を抱えた高齢者の姿に子供たちは多くを学ぶはずです。

 

 

学校の授業、とくに教科書に書いてあることに、なにの意味があるのか?

命の授業なんかしなくても、よくしてくれたおじいちゃんが死んじゃったりしたら、子供は、なにかを感じ、そして大人への階段を1つ登ってくれるでしょう

 

 

世の中で本当に求められるものは、「躾」を通じて、親から子へ、子から孫へ伝わってきたと家訓ニストは考えます。 例えば、家訓ニストは箸の持ち方の綺麗な人を尊敬します。また、自分で脱いだ靴を揃えられる人をみると、絶対、悪い人じゃないな~と感じます

 

世の中のお父さん、母さんが血眼(ちまなこ)になって、お子さんを勉強に追い立てていますが、それって、幾千もある子どもの選択肢の1つにすぎないはずです。

それより、躾をつうじ、最低限のマナーを身に着けることが、社会にでて成功できるコツだと思います

 

高卒だって、中卒だって、楽しく立派に社会生活を送っている方はいっぱいいます。

子供時代に身に着けるべき躾は、大人になってからも、立ち振る舞いや、生活の端々で、試される社会的な作法でもあります。勉強や、社会的なスキルは、大人になってからも身に着けることができますが、日本古来から伝わる躾は、家庭の中でしかできません。

 

 

躾は、お箸の持ち方や、挨拶の仕方など、子供たちの成長と共に、家族が一緒になって守っていくことが求められます。

 

躾を筆頭に、日本に古くから伝わる生活の知恵は、本来、おじいちゃん、おばあちゃんと共に生活するなかで、自然と身についていたものでした。しかし核家族化がすすみ、意識しないと、生活の知恵を伝えることができない時代です。

 

地蔵効果は無限の可能性をひめています

「家訓づくり」と「家訓の唱和」をつうじ、おじいちゃん、おばあちゃんの知恵をお子さん達につたえていってください