「埼玉化」する日本への警告

「東京には、人材はいるが、人物がいない。人物を育てられるのは、地方だけだ!」

(麻生太郎 日本JC歴代会頭)

 

 

 

 

バイパスを走れば、マツキヨに、しまむら。コンビニに、ちょっと走ったらイオンがある・・・


あなたの街もそんな風景になってはいないでしょうか?


金太郎あめのように、おなじ顔にみえる街が全国に広がっています
「埼玉化する日本」という本もあるそうです。


ある種、日本の縮図として、埼玉を名指してしているのも皮肉です

 

駅から延びる商店街がならんでいた水戸の街も様変わりし、今は、バイパスで国道ぞいに大型店がひしめき合い、どこにでもある郊外型のショップが並んでいます。

 

そして、この風景は、茨城だけでなく、全国どこでも同じ感覚に襲われます。バカンスにいった石垣島に、スタバも、しまむらも、あったのにはびっくりしました。

 

金太郎あめのような街は、すごく便利で、しかしどこか味気ない気がしませんか?

このような状態を中沢明子さんは、「埼玉化」と命名しています。

 

今回の家訓ブログでは、日本を襲う隠れた病、「埼玉化する日本」を研究してみたいとおもいます。

 

日本の豊かさは、四季折々にみせる表情に代表されます。このように多様性というものが、人生においても重要であると家訓二ストは考えます

 

ロードサイドに、似たような店がならぶように、あなた自身の人生も、ひとに植え付けられた似たようなコレクションをしていたら、それはすごく残念なことです

 

高校にいって、大学にって、恋なんてして、それなりの会社にはいり、それなりに働き、それなりな人生をおえる・・・ それはとっても偉大なことですが、多様性という意味では、ちょっと物足りないと考えます

 

たとえば、エリート一家に生まれた子供が高校をやめる。それは一家においては大事件ですが、そのことが、子供の人生にどれだけ影響があるかは、本人次第。高卒だって、立派な人生を送る人はたくさんいるのです。

 

埼玉化する日本の問題は、まちづくり、ひとづくりの中で克服しなくてはいけない闇なのです。

 

今の日本は多様性が支えています。大手企業のほとんどは、地方から出発しています。これは、300余藩が割拠した江戸時代の多様性を背景にしているケースが多く、藩ごとに、地域の風土を生かしたまちづくり、ひとづくりが進められてきたことで、明治維新後の日本の発展に大きく寄与したとも言えます

 

例えば、肥前(佐賀)では、陶磁器の輸出で稼いだ外貨に加え、西欧の文物を学んだことで、多くの偉人を輩出しました。のちに東芝を起業することとなるカラクリ義衛門こと、田中さんも、肥前の出身です。

同じ、九州でも、鹿児島では、郷中といわれた若者の寄合を大切にし、文物よりも、仲間の結束、そして武士らしい戦いを好む藩風だったと言われています

 

教育の多様性は、人物の多様性をうみ、そして、日本の豊かさをつくっている・・・ ここまでは、非常に素晴らしいサイクルです。

 

しかし、明治維新後、とくに日本の敗戦後は、教育の統制がすすみ、全国おなじ教科書、おなじカリキュラム、おなじ価値観をひろめる教育が進行しました

そのことで、社会にはほどほどの豊かさが保証されたものの、時代をつくり壊すような大人物が輩出されない時代になったのかもしれません

 

「埼玉化する日本」という埼玉県民の皆様には喧嘩をうるようなタイトルの本ですが、こんなタイトルにも関心が沸かない…というのも、埼玉の特徴かもしれません

何かの偶然かもしれませんが、埼玉は、オリンピックの個人種目で金メダルの輩出がない県でもあります。人口でいえば、桁違いに多い埼玉の欠点が如実に現れているデータともいえそうです。

 

 

金太郎あめのような街が広がることは、子供たちにとっても、地元で成長したとして、郷土愛を醸成できない副作用があります。

また、地域を愛せない子供たちが、おとうさんや、おばあさん。そしてひいては、日本という国を愛せなくなるのは自明の理です

 

ロードサイドにならぶ大型店は、むやみに明るく、ほどほどの商品をそろえ、便利さという魔法で、地域を、そして地域に暮らす人の「関心」をうばっています

街の多様性、ヒトの多様性、そして人生の多様性を確保するため、1億総「埼玉化」の阻止を!あるいは、「埼玉」の埼玉化脱出を希望します

 

上場企業の社長を調べれば、東大卒が一番おおく、みなさんお年をめして社長に就任しています。ひとりひとりが優秀であっても、これは、麻生さんのいう「人材」なのかもしれません。

しかし、上場企業を起業した「人物」を調べれば、高卒、中卒当たり前。松下幸之助さんに至っては、小卒です。

 

明治期に多くの会社を起業した埼玉の「人物」の渋沢栄一さんもそんな一人の人物です。学歴は、今でいう高卒。起業した第一国立銀行(第一銀行、第一勧業銀行を経て、現:みずほ銀行)の頭取に就任した時は30代。以後も、東京ガス、東京海上火災保険、王子製紙、田園都市(現東京急行電鉄)、秩父セメント(現太平洋セメント)、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、キリンビール、サッポロビール、東洋紡績など、多種多様の企業の設立に関わり、その数は500以上といわれています

 

どれだけ優秀な「人物」でも、今の世の中で30代で銀行のオーナーになれるでしょうか?もしあなたの会社に平成の渋沢栄一がいたとしても、社長にある頃には60代。500社もの会社を立ち上げるには、1000年もかかってしまう計算になります。

多様性のない、そして、社会がそれを暗に認めないのであれば、これは「埼玉化」する日本の末期症状なのです。

 

っていうか、埼玉、群馬、栃木、茨城は同じ病気にかかっていますね(^_^;)

 

金太郎あめのような街や、ひとはもうたくさん。

日本を変えるためにはある意味、日本の縮図である北関東から、時代をかえる大人物が出現するかもしれません・・・

 

いでよ、平成の田中角栄(小学校中退)! ふるい?(^_^;)

 

 



埼玉化する日本 (イースト新書) 新書 – 2014/12/10