日本人の多くは無宗教といわれますが、意識していないだけで、神道、あるいは仏教等の様々な宗教のエッセンスが生活に溶け込んでいる国です
年末の1週間を例にとると、クリスマスから、大掃除。除夜の鐘に、初詣・・・
海外の方から見ると無節操にも思える宗教との付き合い方も、「信じる」宗教と、「感じる」宗教と表現できそうです。
海外ドラマをみていると、教会が物語のキーになっている作品が多々あります。
海外では生き方に悩んだとき、あるいは人生のほとんどの場面で宗教と向き合うことが多いようです。そうした意味では、日本人は無宗教かもしれませんが、神様に頼らなくても?生きていけるのも、日本人の特徴なのでしょう
多くの日本人が宗教と向き合うのは葬式ぐらい・・・
葬式仏教と悪口を叩かれるように、よく分からない儀式に、眠すぎるお経も宗教を遠ざけてしまう原因かもしれません。
今回のブログでは、案外知らない「お経」の世界をちょっぴり紹介させていただきます
お経で、一番有名なものが、『般若心経』です。その中身について知っている方はすくないのではないでしょうか?
そもそも、お経とは、紀元前に仏教を興したブッタの言葉をのちの時代に、弟子たちが書き記したものです。原文は、サンスクリット語であり、これが中国語に訳され、さらに日本にやってきて、今に至ります。
「はんにゃ~み~た~♪」っとお坊さんの唱えるお経はひどく退屈ですが、実は、人間の真理にせまるありがたい言葉がたくさん詰まっています
単に、和訳をしてもつまらない。今回、ご案内する現代語訳は、ロック調の般若心経です^^
衝撃の現代語訳、般若新経はこちら
なぜかロックに、シェゲナ・ベイベー(^^ゞ
(※元ネタ:出典 http://matome.naver.jp/odai/2136257773758613101)
超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ
もっと力を抜いて楽になるんだ。
苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。
この世は空しいモンだ、
痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。
この世は変わり行くモンだ。
苦を楽に変える事だって出来る。
汚れることもありゃ背負い込む事だってある
だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。
この世がどれだけいい加減か分ったか?
苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。
見えてるものにこだわるな。
聞こえるものにしがみつくな。
味や香りなんて人それぞれだろ?
何のアテにもなりゃしない。
揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。
それが『無』ってやつさ。
生きてりゃ色々あるさ。
辛いモノを見ないようにするのは難しい。
でも、そんなもんその場に置いていけよ。
先の事は誰にも見えねぇ。
無理して照らそうとしなくていいのさ。
見えない事を愉しめばいいだろ。
それが生きてる実感ってヤツなんだよ。
正しく生きるのは確かに難しいかもな。
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。
菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。
愉しんで生きる菩薩になれよ。
全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな
適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。
勘違いするなよ。
非情になれって言ってるんじゃねえ。
夢や空想や慈悲の心を忘れるな、
それができりゃ涅槃はどこにだってある。
生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。
心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。
この般若を覚えとけ。短い言葉だ。
意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。
苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。
嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。
今までの前置きは全部忘れても良いぜ。
でも、これだけは覚えとけ。
気が向いたら呟いてみろ。
心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。
いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?
『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』
心配すんな。大丈夫だ。
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