ヤクザの爪の垢でも食った方がいい話し

阪神大震災の発災時の状況を調べていたら、アホなことが多すぎて、再び筆を執りたいと思います(--〆)

 

画像は、鵺(ぬえ)と呼ばれる妖怪です。

顔のない実態のない事実を「鵺のよう」っと慣用句で使いますが、今回のブログは、日本に巣食う鵺について紹介していきます

 


1月17日
05:46 地震発生

05:50 陸自中部方面航空隊八尾基地、偵察ヘリ発進準備。

05:50 第三十六普通科連隊(伊丹)営舎内にいた隊員約三百人による救援部隊編成開始

06:00 CNNワールドニュース、トップニュースで「マグニチュード7・2。神戸で大地震」と報道。

06:00 村山起床。テレビで震災を知る。

06:20 テレビで急報を知ったダイエー中内功社長出社

06:30 中部方面総監部非常勤務体制

06:30 村山、園田源三秘書官に、電話で、状況把握を指示(園田本人は「そのような事実は無かった」と否定)。

06:30 警察庁が地震災害対策室を設置、大阪、京都、奈良などに機動部隊の出撃命令を出す

06:35 第三十六普通科連隊(伊丹)、倒壊した阪急伊丹駅へ伊丹署の要請で先遣隊出動

06:50 陸自第3特化連隊(姫路)非常呼集

07:00 スイス災害救助隊、在京スイス大使館へ、日本政府への援助申し入れを指示

07:00 金重凱之秘書が国土庁防災局に電話で状況確認し、村山に「特にこれといった情報は入っていない」と報告。

07:14 陸自中部方面航空隊八尾基地、偵察ヘリ1番機発進。高架倒壊等の画像撮影。出動要請がないため訓練名目。

07:30 村山総理に一報

07:30 陸自第3特化連隊(姫路)、県庁へ連絡部隊発進

07:35 第三十六普通科連隊(伊丹)、阪急伊丹駅へ48人応援

07:50 石原信雄官房副長官、川崎市の自宅を出発。

07:58 阪急伊丹駅救助活動48人

08:00 官邸、防衛庁に、派遣要請がきているか確認するも、要請無し。

08:00 ダイエーが地震対策会議。中内社長、販売統括本部長にヘリコプターで神戸へ飛ぶよう指示。おにぎり、弁当など1,000食分と簡易衛星通信装置を搭載。

08:11 徳島教育航空郡所属偵察機、淡路島を偵察。「被害甚大」と報告。

08:20 貝原知事、職員の自動車で県庁到着。対策会議開くも派遣要請出さず

08:26 総理、官邸執務室へ(予定より1時間早い)。テレビで情報収集。

08:30 セブンイレブン災害対策本部、被災地店舗へおにぎりをヘリ空輸開始。

08:45 村山「万全の対策を講ずる」とコメントを発表。

08:50 石原信雄官房副長官到着。「現地は相当酷い」とコメント。

08:53 五十嵐広三官房長官「非常災害対策本部を設置し小沢潔国土庁長官を現地に派遣する」と発表。

09:00 呉地方総監部、補給艦「ゆら」が神戸に向けて出港。

09:05 国土庁が県に派遣要請促す

09:18 村山、廊下で記者に「やあ、大変だなあ」、視察はしないのかとの質問に「もう少し状況を見てから」とコメント。

09:20 総理国土庁長官、月例経済報告出席。地震対策話題無し

09:40 海自輸送艦、非常食45000食積み呉出港

09:40 神戸消防のヘリコプターが上空から市長に「火災発生は20件以上。市の西部は火災がひどく、東部は家屋倒壊が目立つ」と報告。市長は直ちに県知事に自衛隊派遣を検討するよう電話で要請。

10:00 村山、月例経済報告終了後廊下で、記者の「北海道や東北と違い今回は大都市での災害だが、対策は?」との質問に「そう?」とコメント。

10:04 定例閣議。閣僚外遊報告。非常対策本部設置決定。玉沢徳一防衛庁長官には「沖縄基地縮小問題で(上京してきている)大田昌秀知事としっかり協議するように」と指示。震災についての指示なし。

10:10 兵庫県知事の名で派遣要請(実際には防災係長が要請。知事は事後承諾)

10:15 中部方面総監部、自衛隊災害派遣出動命令(村山の指示で3000人限定。到着は2300人)

10:25 姫路の第3特科連隊の幹部2人がヘリコプターで県庁に到着、県災害対策本部の会議に参加

11:00 村山、廊下で会見。記者の「総理が現地視察する予定は?」との質問に、「状況見て、必要があればね」。「総理は行く用意はありますか?」、「そうそう、状況を見て、必要があればね」。

11:00 京都機動部隊が兵庫入り。

11:15 非常対策本部設置(本部長・国土庁長官の小沢潔)

11:30 非常対策本部第1回会議

12:00 新党さきがけ高見裕一、現地から官邸に電話。自衛隊増員要請するも、村山「高見は大げさだ」と冷笑

12:00 政府与党連絡会議中、五十嵐官房長官が村山に「死者203人」と報告。村山「え!?」と驚愕。

12:48 淡路島・一宮町役場の中庭に自衛隊ヘリ三機が到着。隊員がオートバイで被害調査を実施。

13:10 渋滞に阻まれていた自衛隊第三特科連隊215人が到着。救助活動を開始。

13:30 防衛出動訓令発令検討するも断念

13:30 大阪消防局隊応援部隊到着

14:30 小沢国土庁長官、現地空中視察へ

15:36 河野洋平外相「総理は人命救助と消火に力を入れるようにといっていた。総理が現地に行くのは国土庁長官からの報告があってからのようだ」とコメント。

15:58 村山、廊下で記者の「改めて聞くが、総理が現地に行く可能性は?」との質問に「明日、国土庁長官から現地の状態を聞いてな」とコメント。

16:00 村山総理、地震後初の記者会見。「関東大震災以来、最大の都市型災害だ。人命救助、救援の万全を期したい」、「近く現地入りする」(初めて現地入りを明言)。5分で終了。

19:50 兵庫県知事、海上自衛隊に災害派遣要請

21:00 兵庫県知事、航空自衛隊に災害派遣要請

 

さて、あなたは何人の「鵺」(ぬえ)をみつけましたか?

 

被災後の緊急連絡体制の不備は、国の問題であって村山総理個人の問題ではありません・・・。この日も、緊急事項を伝えるべき秘書官が私用で休日をとっており、総理には情報に上がらない状態でした。

休みって・・・この名前も分からない秘書官のしらばっくれブリ。これが妖怪「鵺」の不気味さです

 

12時の時点で死者203人という報告に「えっ!?」というリアクションも注目です。最終的に、6000名をこえる死者を出した震災でしたが、行政側の認識では、死亡が確認された時点で、「死亡者」としてカウントされます。

たとえ、高速が倒れても、あるいは街に火の手が迫っても、死亡の確認がなければ、ノーカウントです。つまり、政府の認識では、午前中の被害は、「ない」ことになります。非常時においても、正式報告にこだわる。これも「鵺」(ぬえ)の病気です。


情報が「ない」村山総理は、各界の代表と、新年のあいさつをこなしていたとも言われています。翌日の朝にも財界幹部と朝食をしています。これも、事の重大さをジャッジせず、決められた仕事をこなすだけの「鵺」の怖さが伝わるエピソードではないでしょうか?

 

 最後に、「鵺」という妖怪に支配され醜態を晒していた官邸とは反対に、発災時に見事な救援活動をせいこうさせた山口組の活躍を紹介します

 

神戸に総本部を持ち、市民とともに被災した「広域暴力団」山口組は、震災当日から目覚しい救援活動を行っていました。

※猪野健治『山口組概論』(ちくま新書 2008)から引用させていただきます

 

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 山口組の暴対法訴訟取り下げの理由となった阪神大震災だが、その時の山口組の救援活動についてはあまり知られていない。

 

 山口組の救援活動は、総本部駐車場の一角にある井戸の水を近所に配ることから始まった。 地震発生からまだ数時間しか経っていなかった。ちなみに、当時の村山総理が地震発生二時間後にその報告を受けた頃には、見舞いの品を持参した直系組長たちが山口組総本部に到着していた。震災当日の午後には司忍弘道会会長(当時)もヘリコプターで総本部入りし、道路のどの進路が救援物資を運ぶのに早いかを視察している。

 

 口コミで噂はたちまり広がり、総本部前には行列ができた。山口組はただちに、傘下組織に救援物資の調達を指令した。かくて、日本全土からトラック、ヘリコプター、大型クルーザーなどあらゆる手段で一日一万食以上の食料と救援物資が昼夜を問わず総本部に届けられる。山口組の友好団体からも膨大な救援物資が届けられた。

 

 一日二回の配給時には総本部周辺に常時2000人以上の被災者が並び、その行列は500メートルに及んだ。物資は一般食品から乳児の離乳食、正露丸など薬品、お年寄り用の紙おむつ、女性の生理用品まであり、行政にはマネのできない気の配りようだった。使い捨てカイロだけでも約10万人が暖をとった計算になる。救援活動は物資を配るだけにとどまらず、神戸市内の避難所、病院をはじめ神戸市内の被災全域に広げられる。

 

 野球帽にジャンパー、ニッカボッカ姿で自身がバイクを走らせ、避難所に救援物資を運ぶ渡辺五代目に何度もお礼をいう老女もいた。渡辺組長は被災者に「社長」と呼ばれており、その身元を明かすことを極力避けた。

 

 栄公園での炊き出しでは、山口組系の本職のてきやが大規模な屋台を設営し、開店の日だけで2000人の行列ができた。同様の炊き出しボランティアは神戸に10か所近く設けられ、渡辺五代目もこの屋台村にはたびたび足を運んでいる。学生や自治会のボランティアたちは 「社長」やその配下の身分は先刻承知していたが、誰もが被災者であり、その身分を問うものなど皆無だった。

 

 神戸周辺に本部を構える直系組長たちは二四時間の「自警団」活動などで自主的に動いた。そのなかには自ら被災した組長もいた。山健組は地元自治会の要請で店舗あらしや婦女暴行などを防ぐため、巡回警備を行なったが、その際、装備した金属バットなどは住民の差し入れによるものだった。総本部前に掲げられていた「暴力団追放」の大きな看板は自治会によって、その時取り外された。屋台村の撤退の噂を聞きつけた自治会代表は総本部へ「せめてガスが復帰するまで続けられないか」と陳情した。

 

 山口組総本部が直接扱った物資だけで金額に換算して11億円以上に上った。その機動力は圧倒的で、警察にさえ「ここまでやるとは思わなかった」と言わしめた(ちなみに08年の四川大地震に日本政府が送った義援金は約五億円、米国にいたっては五千万円だった)。 「暴力団山口組はいち早く救援物資を無料配布。政府関係者にバツの悪い思いをさせた」(『ニューヨークタイムズ』)などと外国メディアが伝えてはじめて、日本の有力紙は諸外国の現地紙が報じた内容を外電で伝えるという“良識”をみせた。一方で、救援現場での市民の声を黙殺して「売名行為」とのレッテルを貼ることには余念がなかった。

 

 山口組は、かねてから大災害の被災地に救援物資を匿名で大量に送るなど、被災民への救援活動を継続して行なってきた。田岡三代目の意思によるものだったが、新潟地震や山陰水害などことあるごとに配下たちは被災地へ救援物資を山積みしたトラックを走らせたが、マスコミは「人気取りか」と冷笑した。唇をかみ締めくやしがる若い組員に田岡は「いいことはいいことなんや」と励ましながら、〈心の中ではやはり寂しかった〉と自伝にある。これは、「山口組は暴力団ではない、任侠団体である」という田岡の信念であったのだろう。

 

 04年の中越大地震でも、山口組は各市町村役場や学校での物資の無料配布所活動、無料屋台などを行っており、市民に大好評だったという。匿名での義援金提供や支援活動は数えればキリがないほどであるという。

 

 歴史の混乱期に、やくざは突然捨て身の行動をとり、光芒を放つ瞬間がある。「阪神淡路大震災」での救援活動もその一つかもしれない。

 

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村山総理と渡辺五代目ら山口組組長と、どちらが危機的状況におけるリーダーシップにおいて優れていたでしょうか?

そして、総理の影に隠れ、何匹の鵺が暗躍したのでしょう?

 

霞が関全体で山口組組長の爪の垢でも煎じて飲んだらどうでしょうか?

 

 

最後に阪神大震災を報じた外国特派員の言葉を引用させていただきます

 

自治体の災害対策は不合理なまでに楽観的な仮定に基づいていた。神戸市は震度5以上の地震を想定していなかったし、すべての道路、鉄道、電話が引き続き利用でき、その災害対策スタッフが全員活動できる計画しか持っていなかった。今回の地震は予想の倍もの被害を出し、ほとんどの幹部が動けなかったし、交通は寸断され、コミュニケーションはとぎれてしまった。

 (中略)

 全般的かつ継続的に印象的だったのは、民間防衛隊や軍隊が全く存在しない状況で、動揺や犯罪や暴動もなく、水や食料を何時間も整然と並んで待つ人々の冷静さであった。CNNのクルーは私に、「どこに日本の州兵はいるのか!」と、たずねた・・・

 

「州兵」とは緊急時に派遣される兵隊のことです。海外の特派員の目からすると、兵隊もなく秩序が守られている日本の治安が信じられなかったようです。これは、東日本大震災でも証明された日本人の道徳心の強さがわかるエピソードです。

 

そして、外国では、治安を乱すギャング(暴力団)が、日本では、東大出身の官僚さんが集う霞が関よりしっかりと住民と寄り添い活動していた・・・

 

「鵺」(ぬえ)と言われる実態のない妖怪は、見て見ぬふりをする天才です。ただし、この妖怪は、霞が関だけでなく、日常のあらゆる処、そしてあなたの心にも潜んでいます。


震災に限らず、仕事やプロジェクトの中に、鵺はそっと忍び寄ります。「誰かがやってくれるだろうっ」と、見て見ぬふりをするように鵺は甘い言葉でささやくのです

 

危機がせまった中でこそ、人間はその人間性が問われます。


やくざさんを擁護するつもりはありませんが、アウトレージであっても、好い事はいい。それだけのことです。

家訓二ストも、ヤクザの爪は飲みたくないので、心の弱い部分に住む「鵺」(ぬえ)という名の妖怪に負けず、日々精進していきたいです。