5人の組織、100人の組織、1万人の組織。
規模の違いはあれど、共通していえるのは、同じ目的のために集う仲間っという定義です。
そして、これを会社に当てはめると売上のため、そしてビジョンのために集う集団となります。
どんなにひどい組織であっても、
「会社なんてつぶれてしまえ!とか、取引先を一軒でも多くなくす!」そんなメンタルで働いている人はいないはすです。
しかし、会社も、そして組織も、つぶれていきます。
組織を強くすることは、難しいもの。反対に、組織を殺すのに簡単な方法があるのをご存知でしょうか?
今回のブログでは、組織を殺す「蛇足」の法則をご紹介させていただきます
節税対策で会社をつぶす予定の土子様以外にもぜひ読んでいただきたい内容です
『組織を殺す「蛇足」の法則』
【蛇足】(だそく)の意味を知っていますか?
一般的には、わざわざ余計な事までしてしまう意味の熟語。
また、物事がうまく行っている時に、調子に乗ってやたらに手を出すべきではないという教訓としても用いられます。
出典は、戦国策・斎策で、こんな物語が語られています。楚(紀元前3世紀頃まであった国)の人が先祖を祭る行事をして、家来に酒をふるまった。家来は『数人で飲むには足りないが、一人で飲むには十分だ。地面に蛇の絵を描いて、一番初めに完成したものが飲むことにしよう』と提案した。一人が蛇を完成し、余裕があったので足を書き始めた。その途中でもう一人が蛇の絵を完成させて、先の男から酒を取り上げて『蛇には足がないのにどうして足など書けるのか』と言って、酒を飲んでしまった。蛇の足を書こうとした者は、調子に乗ったために酒を飲みそびれてしまった
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要約すれば、蛇を書くだけ良かったのに、足をつけたばっかりに酒にありつけなかった寓話が基になっています。しかし、この「蛇足」のお話しには、組織論の神髄にもなる強い教訓が隠されているのをご存知でしょうか?
では、改めて「蛇足」の物語が登場する戦国策より、原文の前後の物語を加えて紹介させていただきます
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楚の昭陽は非常に強い将軍で、魏軍を壊滅し、八つの城を占領し、さらに斉まで攻め入ろうとした。陳軫は斉王の命を受けて、昭陽に面会し、勝利を祝福した後「楚の国の規定では、軍事に功労のあったものの官職と爵位は何か」と尋ねた。昭陽は「官職は上柱国、爵位は上執珪である」と答えた。さらに陳軫は「それ以上に軍功のあった者はどうですか」と尋ねた。昭陽は「令尹である」と答えた。陳軫は「楚王は令尹を二人も置くことはないでしょう」と言って例え話を始めた。「楚に祠者がいて、家来に酒をふるまった。家来は『数人で飲むには足りないが、一人で飲むには十分だ。地面に蛇の絵を描いて、一番初めに完成したものが飲むことにしよう』と提案した。一人が蛇を完成し、余裕があったので足を書き始めた。その途中でもう一人が蛇の絵を完成させて、先の男から酒を取り上げて『蛇には足がないのにどうして足など書けるのか』と言って、酒を飲んでしまった。蛇の足を書こうとした者は、調子に乗ったために酒を飲みそびれてしまった」。陳軫は続けて、「今、昭陽は大臣になって魏を攻め斉まで攻めようとしています。斉はあなたを恐れています。今の官職の上に加えられる官職はありません。さらに手柄を立てようとする者は、必ず身を滅ぼします。今の爵位も誰かに取って代わられます。ちょうど蛇の足を書こうとした者と同じです」と言った。昭陽はその通りだと思って、斉から軍を引き上げた・・・
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ザックリいうと、余計なことをしたばっかりにお酒を飲み損ねた寓話をテコに、使者が、将軍に遠征を止めさせたことが読み取れます
そして、原文をよんだ皆様は、何か違和感を感じなかったでしょうか?
この「蛇足」の物語から読み解く真理は、【論理のすり替え】です。
そして、この論理のすり替えこそが、組織を殺す一番簡単な方法になります
この時、使者が使ったトリックはシンプルです。
戦争(遠征)の目的は、敵を滅ぼし、自国を守ること。この時の主語は、「国」になります。
しかし、「蛇足」の寓話の主語は、「個人」になります。
寓話を用いたトリックで、登場する斎は、強国である楚の進軍を止めることに成功しました。
個人と組織の目的をすり替えることで、なんと戦争をせずに自国を守った斎の使者の聡明さが目立ちます
これを会社にたとえると、トリックの巧妙さが分かるとおもいます
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営業マンの神原さん(仮称)は、今月トップの成績を収めていました。
そこにライバル会社の大高君(仮称)が現れ、ささやきます。
大高:それ以上売っても、部長や課長になれる訳ではないでしょう?
もうすでにトップなんだから、今月の数字をセーブして来月に回しなよ!
ところで、昨日新しいキャバクラができたんだけどいく?
神原:「それもそうだね・・・じゃ、大工町にいく^^」
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会社の目的は、多くの商品をうり、うりあげを確保すること。この時の主語は、「会社」になります。
しかし、「蛇足」の寓話を用いれば、「個人」と「会社」がすり替わっているのです。
「蛇足」の物語は、実に多くの教訓をぼくらに示唆してくれています。
組織の目的を個人に浸透させていくことのむずかしさは、紀元前の中国から、現代にいたるまで今も変わらず、経営者を悩まします。
また経営者自身も、個人と組織のはざまで悩むものです。
以前、ビジョンの大切さを語るために、ブログで松下幸之助さんのビジョンと、幸之助さんが亡くなったあとの経営陣のフラフラ具合を論じたことがありました。
創業者が求めた貧乏を追放し人間を育てる!といった理念を、新経営陣は、売りあげの確保に走り、結果、従業員のリストラ、そして技術者の流出を招き、サムソンに猛追されるといった大失策を犯しました。
この時の経営陣のメンタルを分析すれば、カリスマ亡きあと、売上ダウンをすることは、メンツにかかわる!っと必死になっていたことが読み取れます。この時の「メンツ」とは個人の問題。蛇足でいう論理のすり替えです。
経営者が追うものは、ビジョンであり、売上さえも、ビジョンを達成させる1つの手段にすぎないはずなのです。
地獄への道は善意の意思で出来ている・・・という格言もあります。
よかれ、よかれっと、選んだ選択が、結果、組織を殺してしまうことってないでしょうか?
「蛇足」とは一般的には、わざわざ余計な事までしてしまう意味の熟語。
また、物事がうまく行っている時に、調子に乗ってやたらに手を出すべきではないという教訓としても用いられます。
しかしビジョンにそった蛇足はどんどん犯していくべきです。家族や、社員が泣く前に、ビジョンを定め、そして蛇足をこわがらす、挑戦をつづけていきましょう^^
家訓ニストの挑戦も、人によってはやりすぎだの、JCのルールを守れ!っと言われます。しかし、これからも家訓ニストは、家訓の素晴らしさを世に問いつづけ、明るい豊かな社会をつくり、世界平和の実現のための「蛇足」を描いてまいります!
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