家訓創世記 第3章 ~協議上程と使徒襲来~

あなたは、自分の限界を知っていますか?

 

人生の中では、いろんな苦労が降りかかりますが、一度地獄をみておくことで、限界をしり、また次の限界で、がんばれるエネルギーも生まれます

 

日本JCは、自分の可能性をひろげ、限界という名の壁を壊してくれる組織です。

ぬるま湯の中では、ぬるま湯程度の結果しか産めないもの。しかし、限界の向こう側に初めてみえる景色があることを、日本JC,そして穂坂議長は教えてくれました・・・ 画像は、水戸JCから出向した幡谷、土子、関根の写真です。わたしを含め、探り探りの出向でしたが、おのおのJCのなかで、成長できたのではないでしょうか? 

 

家訓創世記 三章は、「協議上程と使徒襲来」です

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

家訓創世記の時間軸のおさらいです

 

2010年 10月 いきなり出向がきまる

2010年 11月 家訓づくりの協議上程

2010年 12月 審議上程

2011年 01月 京都での理事会にて、審議可決。プログラムの発信へ

 

これに幡谷のプライベートで起こった事件を重ね合わせます

 

2010年 09月 交通事故で自宅療養

2010年 10月 日本JC出向

2010年 11月 長野の義父が倒れ、以降3か月の闘病生活に

2010年 12月 父が癌になり入院

2011年 01月 社長就任

2011年 02月 義父が死去

2011年 03月 東日本大震災 発災

 

あらためて書いてみると、JCどころじゃなかったですね(-_-;)

でも、JCがあったからこそ、乗り切れた・・・ともいえそうです。

 

日本JCの上程システムの中では、幡谷が書いた議案を上程するのは、常任理事の役割となります。副議長が書いた議案を議長が確認し、上程するのは常任理事・・・なおかつ、月初での上程では、議長さえ同じ部屋に入ることも許されません。つまり、ほぼ第三者が議案の良しあしを議論していきます。議案の不備は命取り・・・ 口頭での補足説明ができる訳もなく、まさに真剣勝負の上程です。

 

これに加え、プログラムのクオリティーをあげる必要があります。これは、机上の空論では埋められるわけもなく、トライ&エラーで精度をあげていきました。

今ではおなじみになった「お父さんお母さんから言われたこと10個」を書き出すブレストでも、当初のお題は、「ひとにされて嬉しかったこと」でした。しかし、実験の結果、意見が出にくいことが判明し、差し替えています。同じように、言葉の選び方、ワークショップの順番、アクティビティーの可否などを検証していきました。

 

このトライ&エラーでは、橋本副会頭(当時)からの指示で、次世代社会創造グループの議長、委員長の皆様に協力をいただいています。同グループとはいえ、忙しい委員長の皆様のお時間をいただき、完成前の出来の悪いプログラムを受講いただていたことに感謝の言葉もつきません。またこのグループの中には、現副会頭の山本さん、同じく常任の森本さんなど、11年度以降も家訓を見守って下さる応援団をつくることになりました。

 

しかし、アマちゃん副議長の制作過程のプログラムなど、議長、委員長の皆様からみれば、ママゴトのようなもの・・・正直、指摘がつらかった記憶があります(>_<) そもそも当時の幡谷は、探り探り、進行をしていました。ひとに伝えるというより、「これでいいのか?」っと、自分自身に自問自答しながらのプログラム進行です。そんな弱気のトレーナーが、きちんと進行できるわけもなく、自身の甘さが身に染みる時間でした。

 

議案上程と、プログラムのクオリティーをあげる作業に平行し、家訓参考例の原稿も作っていきました。

おもに、深夜はこの作業に追われることになり、古今東西の著名人の家訓をしらべ、出典を確認し、データに反映する・・・この作業を繰り返し、繰り返し・・・ 今もプログラム中につかっている冊子は、この予定者の時に制作したものです。っていうかもう1回やれ!っと言われても、もう無理です。それだけ自分の限界に挑戦した2ヶ月でした。


プライベートでも降りかかる艱難辛苦の連続。自分の親父、嫁のお義父が相次いで倒れ、議案を書く作業は、長野、水戸の病室でもやっていました・・・ でも、こんな時だったからこそ、自分を追い込むことができたのだと今は思います。

 

スタッフ総出で、議案のクオリティーをあげ、11月の協議上程、12月の審議クール。年明けには、VTRも完成し、プログラムの体裁が整い、白熱した議論もいい方向で家訓づくりに反映できていました。

年あけの2011年1月、京都会議でも正副と、理事会を行いますが、通常、「しゃんしゃん」で終わるもの、京都いりしていた幡谷を含めたスタッフも、先斗町でお疲れさん会を楽しんでいました。

 

幡谷:「いや~議案たいへんでしたね!」

議長:「てっちゃん、おつかれさんでした」

一同;「乾杯~♪」

 

議長:「んっ電話だ・・・ はい穂坂です・・・ はいっはいっは・・・ わかりました・・・いますぐ会館にむかいます」

 

議案が通ったと思い込んでいた我々に下った連絡は、まるで反対のもの。つまり、議案が落ちるという連絡です(>_<)

通常、しゃんしゃんで終わる京都での会議のはずが、大炎上。ラインの橋本副会頭、川島常任が、議長を呼び出したというのが真相です

楽しい懇親会も、肉をたべるいとまもなく、京都国際会館に逆戻りです。

そして、本当の地獄は、ここから。自分の限界をこえる挑戦は、このとき始まるのです(-_-;) まさに使徒襲来です!

 

次回、新世紀KAKUNゲリオン ~第4章 限界のその先に・・・~ お楽しみに