忘れてはいけない日に・・・(終戦祈念日とお盆の関係)

嫁の実家でお盆をすごしています
義父をなくし、いつも独りにさせてしまっている義母ですが、この数日だけは、孫に囲まれ賑やかに時間を過ごしているように感じます

お盆って本当にいい習慣です
そして、お盆には必ず、日本人として忘れてはいけない終戦祈念の日がやってきます。
 
毎年、この日に何を書くか?頭を悩ませますが、感じたことを感じたままに書いてみます


 

家族という社会を構成する最小の単位から、社会変革をめざす家訓ニストですが、家訓をつかったコミュニケーションで提唱するのは、ありきたりの普通の1日の大切さです。

 

父ちゃんがいて、母ちゃんがいて、ご飯がたべて、そしてお休みなさい!と、寝ることができる。

それ以上の幸せってあるのでしょうか?そして、現代に暮らすぼくたちは、幸せも、不幸も、抱えすぎなのかな?とも感じています。

 

お盆になると、ご先祖さんが、山や川から、戻っていらっしゃいます。実家では、お義母さんが、姪っ子にこんな話を聞かせていました

義母:「キュウリに足をつけるのは、馬に見立てて、ご先祖さんが早く帰ってこれるように、そして、茄子に足をつけるのは、牛に見立てて、ゆっくり帰ってもらうように」っと・・・

ご先祖さんから受け継いだ伝統を、おばあちゃんから孫へ。手渡しできるというのも、お盆の素晴らしさなのではないでしょうか?

 

いつも静かな田舎の集落が、お盆のときだけ、子ども達の声があふれ、山、川、田んぼ、そして神社での盆踊り・・・

消えつつある日本の原風景が、お盆の数日だけ復活しているのかな?と最近感じ始めました。おじさん、おばさん、従弟っと、普段、都会にすみ、顔を合わせない親戚が集い、亡き祖先のお話しや、たくさんの話しができるのもお盆の良さ、そして日本の夏の素晴らしさです。

 

そしてお盆の間には、8月15日がやってきます。

連合国側のポツダム宣言をうけいれ、日本が降伏をした終戦祈念の日です。多くの人命を失った戦争という悲劇のなかで、死してもなお、守りたかったものは、自分の家族の平穏、そしてお盆に出現する日本の原風景だったのではないでしょうか?

戦争という悲劇を繰り返してはいけないのは、もちろん、日本の原風景を守り、そだて、次の世代に受け継ぐことが、亡き英霊への弔い(とむらい)であると家訓ニストは考えています。そして、幡谷にとっての手法の1つが家訓づくりを弘める運動なのです。

 

終戦の日となった8月15日。

お盆と、終戦の日が重なっているのは、偶然ではありません。

それぞれの場所、それぞれの愛しい人と一緒に、今日という1日に感謝し、そして、自分を創ってくれたご先祖さんに感謝しましょう

山、川、たんぼ。日本の風景は美しいものです。それは、田舎にかぎらず、マンションにだって住宅地だって、美しさを感じます。しかし、日本を表す風景の中で、「あなた」自身が輝いていますか?

 

父ちゃんがいて、母ちゃんがいて、ご飯がたべれて、そしてお休みなさい!と、寝ることができる。

それ以上の幸せってあるのでしょうか?そして、現代に暮らすぼくたちは、幸せも、不幸も、抱えすぎなのかな?とも感じています。ありふれた日常の中でこそ、感謝し行動していくことで「にんげん」は光るものなのでしょうか?

 

家族をつくり、日本の原風景をとりもどす「家訓づくりプログラム」のオーダーをおまちしています。