東日本大震災では、尊い人命を失ったのはもちろん、多くの文化財、歴史遺産もその被害を受けました。
弘道館では、土壁(つちかべ)を中心に多くの建材が被災し、その修復に3年の時間を費やしています。今年の4月、関係者の尽力のもと、ようやく一般公開にたどりつきました。
しかし、同じ市内に位置する市役所(昭和40年代建築)が、半壊となり使用不能になった事と比べると、その被害は最小限なものにとどめることができました。これは、土壁が壊れることで、柱への被害、瓦への被害を組み止めたと分析されています。
科学技術が発達しても上辺だけ、先人の知恵に比べる時、人間の進化など、進んでいないのかもしれません。
水戸市三の丸に位置する「弘道館」は、開校当時、質量ともに日本一の藩校として知られていました。
仮開校が、1841年。本開校が1857年となり、その後の明治維新の混乱期や、大東亜戦争をへてなお、開校当時の建物を遺しています。
水戸市では、日本の近代化をになった貴重な歴史学問遺産として、世界遺産登録をめざしています。
関ケ原の戦いが1600年。ペリー来航が1853年。
250年近く続いた太平の世が終わり、未曾有の国難ともいえる状況の中、植民地を狙う欧米列強に対抗するために、幕府や諸藩では様々な改革を実行していきました。そんな中、水戸藩 藩主・徳川斉昭は、人材育成によって国難に立ち向かうため、弘道館の建設にとりかかっています。
藩校弘道館が育んだ人材も多種多様で、大学建設を、藤田東湖が担い、志士たちのバイブルとなった「新論」を記した会沢正志斎が初代教授頭取に就任しました。そんな藤田、会沢を慕い、江戸藩邸には西郷隆盛が、弘道館には、吉田松陰が立ち寄っています。当時の移動方法は、もちろん徒歩。1ヶ月、2ヶ月という時間をかけ「学び」を得るため、水戸の地に多くの志士が集ったことは、郷土の誉れです。そして、弘道館が輩出した人材で一番の著名人は、斉昭の息子である七郎麿。のちに、一橋家の養子となり最後の将軍となる慶喜が挙げられます。藩主の息子であっても、他の生徒たちと等しく学んでいた様子が伝わっています。
天皇を尊む尊王攘夷の思想が、斉昭のつくった弘道館で、熟成され、そして全国に発信されました。
水戸をして、「維新の魁」と表現される理由は、明治維新という革命の黎明期に、水戸の地での「学び」が日本を動かしていたことに由来するのです。
景色10年、風景100年。風土1000年。
水戸の風土には、「まなび」の聖地としての風が吹いています。
弘道館の命名は、論語の一説に由来しています。
弘道とは何ぞや?
漢文
子曰、人能弘道、非道弘人也。
子曰わく、人能(よ)く道を弘(ひろ)む。道、人を弘むに非(あら)ず。
現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「人々こそが真理の道を高めるのだ。真理の道が人々を高めるのではない。」
水戸では、弘道館の名前の由来と共に、「知行合一」(ちぎょうごういつ)という教えも言い伝えれています。
つまり、知って行わないことは、いまだ知らないことと一緒であると。
いまの教育システムの中で、感じる違和感は、「知行合一」がないことから由来するものなのではないでしょうか?
エリートさんが、机の上の勉強でいい点をとり、出世したとして、知って行わないのであれば、テストは100点であっても、「知る」という点では、ゼロ点です。
学んだことを、どう伝えそして世の中のポジティブな変革のために行動したとき、学びが初めて、「知る」ことになるものと家訓ニストは考えます。
家訓づくりは、知行合一のプログラムです。
あなたの人生で得られた経験を、教訓に変換し、家族に伝えてください。そして渡された家訓が家族の軸となり、迷った時、あるいは人生を飛躍させるときの依り代となるのです。
「家訓をつくる」。それだけでは、知ったことにはなりません。そこから家族で唱和をすること、そして、大人の背中。つまり自分の行動で伝える時、はじめて、智が動になり、あなたは「知行合一」の使徒となるのです。
また水戸青年会議所では、弘道館に習い「知行合一」の運動を展開しています。
とくに、弘道館の精神を現代に伝えるだけでなく、まちの問題点と真摯にむきあい、世の中を変えるアクションを起こしています。智を動に変換する取組、平成弘道館です。水戸JC 6月例会では、この弘道館を舞台に当代一流の講師をお招きしての勉強会を実施します。弘道館は歴史遺産にあらず。いまなお「学び」を提供する発信基地なのです。
家訓づくりプログラムも、弘道館の精神にもとづき、家庭における道徳心の醸成のために開発したプログラムです。元々2008年に例会で実施したものを、バージョンアップし、日本JCで採択いただく形になりました。これも知行合一の成功例とも言えそうです。
子曰わく、
人能(よ)く道を弘(ひろ)む。道、人を弘むに非(あら)ず。
家訓ニスト曰く、
人よく家訓をひろむ。家訓、人をひろむに非ざるなり。
本当の意味で知るということは、なんて大変な道なのでしょう・・・
しかし、そこに真があるのであれば、短い人生の中でなんとか知ってみたいものです。
家訓ニストも道なかば、弘道館の世界遺産登録。そして、家訓づくりによるノーベル平和賞受賞まで引き続き旅のご協力と「いいね」をお願いします^^
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