ヒトは人でしか学べない。学びの宝庫、宴席での備忘録

画像:宴席こそが学びの場?
画像:宴席こそが学びの場?

来水いただいたJCのOBの先輩方を囲む宴席があり、家訓ニストも同席し、末席を汚させていただきました。

 

宴会で気をつける点は2つ、無礼講!といっても、ノールールということではない

そして、楽しく飲むために場の空気を乱さないようにすること、そして何より自分が楽しむことです。

 

とはいえ、お酒が飲めない家訓ニストにとっては、耐え忍ぶ?つらい宴会が多いのも事実ですが、この日は、JCという荒波のなかを漢一匹、わたりぬいてきた兵(つわもの)の集う会、金言、格言。無駄な?一気が飛び交う楽しい席になりました。

本当の「学び」とは、宴席の中にしかないのかもしれません。膝をつきあわし、胸襟をひらき、のみ、語り、時には、喧嘩して・・・ 梅酒1杯で約4時間、家訓ニストの酔っ払い備忘録です^^

 

席ちゅう、副会頭もつとめた大和田先輩より、先日のブログで公開した「ペリーが開国をせまるプレゼンに使用した?パワーポイントの資料」を、お褒めいただきました。っていうか、元ネタはネットでひろったものですが、その後の大和田先輩の金言が素晴らしいものだったので、あわせて御披露させていただきます。

 

そもそも、大和田さんが、ブログをみていたことが、驚きなのですが、先輩いわく、ペリーだけでなく、たとえば、東京裁判で唯一無罪判決をだしたパール判事目線のパーワーポイントや、ルーズベルト大統領目線での提案書、日本でも、山本五十六連合艦隊長官目線、硫黄島を指揮した栗林中将目線、っと、様々な価値観を提示し、それぞれの掲げる正義があったことを伝えるべきなのではないか?という内容でした。(違ってたらすいません)

 

これが正義だ!だと戦うのが戦争です。勝った方、負けた方、いずれも正論であり、どちらも歴史です。

しかし、勝った方目線の歴史だけが遺されるのも事実。それをして、戦後70年たっても、右だ、左だっと、いまだに迷走しているのが、日本の歴史感です。JCが歴史観を示したとして、それさえ、どこか偏りがあるもの、そこを「ひと」にフォーカスし、更に様々な価値観を示すことで、子ども達は、「歴史」をまなぶ眼を手に入れることができるのでしょう。

 

歴史は、多くの学びを与えてくれる最高の教材です。

温故知新。古きを訪ねて新しきを知る。迷路のような世の中で、自分の立ち位置をさだめ、今を知るためには、歴史と向き合う必要があるのではないでしょうか?

 

大和田先輩の示された教材としての近現代史への提言に大きく感動させていただきました。

 

そのうえで、「ひと」を教材として取り上げることの意義を家訓ニストは訴えます。

「ひと」は、「ひと」からしか学べません。そして、「ひと」から学ぶ手法も様々です。本を読んでもよし、映画をみてもよし、そして、時々ブログでも披露している「偉人伝」は、最高の教育素材で、福岡JCさまが独自に開発され、今静かに、家訓ニストがひろげている運動です。

 

「いい国つくろう鎌倉幕府!」といえば、1192年に鎌倉の地に、初めての武士政権による政治体制がひかれたことを示します。これは一種の革命であり、日本の歴史の中でも最大の転換点でした。

しかし、そのことを子どもたちに伝えようとしても、いまいち実感がわかないのではないでしょうか? 関心の量は常に決まっていて、800年も前の歴史を、ポケモンや、仮面ライダーのように、ちびっ子の心をわしづかみにするには、もう少し工夫が必要です。この時の「工夫」こそが、偉人伝です。

 

起きて半畳、寝て一畳。天下をとっても飯、2合。

大事業をなしとげた源頼朝、その後、天下人となる豊臣秀吉、徳川家康も、全員、「ひと」です。飯もくうし、くそもする。失敗もすれば、成功もする。子どもにとって、等身大の「人間」を伝えることは、自分自身を偉人に投影し、がんばる気力や、野心? 様々な境遇や逆境をもプラスに転換させる魔法の薬となるのです。

 

そもそも、なぜ歴史をまなぶのか?それは自己の成長のためです。ヅラヅラ、先生の書く年号には意味はありません。しかし、偉人や史実のなかで、自分をかえる「やる気スイッチ」が見つけられたのあれば、それ以上の「学び」はないはずです。

偉人伝は、「ひと」を通じて歴史をまなび、やる気スイッチをいれ、そして学ぶこと、生きることの動機づけするスペシャルすぎる素材です。

 

こんな大人になりたい!あるいは、○○みたいに、困っている人を助けたい! だから勉強するんだ!そんな子どもが溢れる教室をつくることが家訓ニストの目標です。

 

2011年、鉾田JCさまで「偉人伝」を実施させていただいたときのエピソードです。

 

この日は、50人の子供の前で「野口英世」の生涯を紙芝居で披露しました。

野口英世はお札にもなった日本が誇る偉人です。病気の撲滅のための研究に生涯をささげ、アフリカ、中南米と各地をまわり、多くの命をすくったことで、今なお世界中の人から尊敬をあつめています。しかし、英世の半生は暗いもので、たとえば火傷による障害で、手が使えなかったこと、たとえば、非常に貧乏で苦労したこと、そんなエピソードを交え、子ども達と向き合いました

 

なかでも、英世が小学生の頃、いじめが原因で不登校になった際、母親から、

「お前は手が使えないなら頭をつかいなさい、勉強でみかえすんだ」と叱咤されたシーンでは、子供の心を引き付けたようで、後日、参加いただいたお母さんからお礼のお手紙を頂戴したほどです。

 

お手紙をくださったお母さん曰く、お子さんがイジメが原因の不登校で困っているなか、学校でなく、JCの事業ということで、参加できたこと、そして、偉人伝をきいて、子どもが、「これから、がんばる!」と決意をしたとをご報告いただき、設営側として、「偉人伝」の素晴らしさを確信した設えとなりました。

 

そして、偉人は、文部科学省が決めるのではなく、自分たちで決めればいいのです。水戸では、歴代藩主の徳川光圀公の斉昭公の偉人伝を作成しました。あるいは富山では、薬うりを始めた○○さん、藤子不二雄F先生っと・・・地域の偉人を掘り起し、偉人伝として子どもたちに伝える取組がはじまっています。

 

偉人は何かなしとげた人?そんなくくりもいりません。美味しい唐揚げをつくってくれるヨネマスのおばちゃん。そして、自分の父親、母親。おじいちゃんに、おばあちゃん。つつましくも、正直にいきる人、すべてが偉人なのではないでしょうか?

 

「ひと」を切り口に、道徳をまなぶ。

あるいは、「ひと」を切り口に、近現代史を学ぶ。

 

ヒトはひとでしか学べない。

宴席のなか、人から学びました。そして、長い長い宴席に、JCの恐ろしさを気づかされました(*_*)

 

あらためて、大和田歴代、宮田歴代。そして、埼玉よりお越しいただきました積田先輩、奥富先輩、ありがとうございました。

今後も、めざすべき背中をもつ先達として、迷える家訓ニストをお導きいただければ幸いです。