ゆとり世代から、さとり世代へ・・・~盗んだバイクで走りださない皆様へ~

画像:悟り?をひらく家訓二スト
画像:悟り?をひらく家訓二スト

紀元前のエジプトで発掘された石版には、「最近の若い奴は・・・」と愚痴った文字が残されています。

猿から人間になり、これからもずっと、新しい価値をもった若者と旧世代とでは、価値観の相違による摩擦があるものなのかもしれません。

 

過去の日本でも世代間における価値観の差により様々な軋轢がありました。

 

銭型警部でおなじみ、昭和ひとけた(90歳以上)世代。実際に銃をもち戦った世代です。

戦中世代(70~90歳)は、戦争中疎開を経験しています。蛍の墓でいうリアル節子です。

戦後になれば、団塊(50~70歳)の世代。大学紛争で有名な世代ですが、安保闘争が有名、さっくり熱い世代!ということでしょう

好景気に沸いたバブル時代は、新人類(40~50歳)なんて言葉がはやりました。学生の囲い込みが激しく、内定を5社も6社ももらって、会社もちでハワイ旅行・・・なんてことがあったそうです。

そして、家訓二ストを含む、いまいち地味な団塊Jr(30~40歳)とつづき、今の若者の世代(20~30歳)は、「ゆとり世代」と表現されます。これは文部科学省の学習指導要綱の改革にともない、つめこみ教育から、ゆとり教育へ変換された世代であることに由来します。

 

一般にゆとり世代は、常識がないとか、協調性にかけるとか、ネガティブな表現として活用されるようです。

家訓二ストも同じように言われる場面が多く、元祖ゆとり世代なのかもしれません(*_*)

 

しかし、人間のスペックはそんなに変わるわけでなく、社会の環境にあわせて時代ごとに伸びる能力と、衰退する能力があるのではないでしょうか? なにかが上がれば、なにかが下がる。ただそれだけのことなのです。

戦前、戦中でいえば、たくましさが延びます。ただし上品さ?なんてものは求められるスペックではありません。バブル世代でいうと、イケイケの貪欲さが求められます。ただし質素で身の丈にあった生活は望むものでもなかった気がします。

そして、「ゆとり世代」は、インターネットや携帯。そしてFB、ラインっと前世代では、考えられない情報化社会のなかで育っています。ネットの中でのコミュニケーションを保つため、悪く言えば薄く広く。よくいえば、場の空気を読む能力にたけているとも評されます。

 

「ゆとり」世代は、しょうもない世代なのか!?

今回のブログでは、若者の世代に敬意を払い、「ゆとり」から、「さとり」と表現を改め、「さとり世代」として研究を進めてみたいと思います

 

さとり世代の特徴としては、「欲が無い」や「恋愛に興味が無い」や「旅行に行かない」などといった事柄が指摘されています。休日は自宅で過ごしていることが多く、「無駄遣いをしない」し「気の合わない人とは付き合わない」傾向が高ようです。さとり世代は物心ついたころには既にバブルが崩壊しており不況しか知らないし、インターネットを利用して育ってきていることから現実もよく知っており、無駄な努力や衝突は避け、大きな夢や高望みも無く、合理的な行動を心がけているのではないでしょうか?

ただし、「さとり世代」と近い言葉は、「さとり世代」が登場する前から存在しており、ミニマムライフ世代(1980年から1988年生まれ)、嫌消費世代(1980年代前半生まれ)などという言葉がある。このように「さとり世代」の特徴は、「さとり世代」の独特の特徴というよりも、家訓二ストを含め現在の若者の特徴なのかもしれません。

 

ゆとりの次、さとり世代は、物心付いた頃から不景気で、浪費を悪と考え、実にまったりとした、穏やかな暮らしを望む草食系世代と定義します。

(※参照:『さとり世代 盗んだバイクで走り出さない若者たち』(原田曜平/著、角川書店/刊)

 

背伸びをしない生き方は、「ロレックスだ~!」「ヴィトンだ~!」っと踊らされてきた前世代にとっては、理解しにくいものでも、人類の叡智にそった、まさに【悟り】をえた生き方です。

そして、さとり世代は、今まで押しつけ型、つめこみ型で、物事とむきあってきた日本人の可能性に風穴をあけつつあります。

 

事実、この世代は、スポーツ、芸術でこれまでにない顕著な実績を叩きだしています。テニスの錦織くん、ゴルフでは石川遼くん、スケートの羽生くん、浅田真央ちゃんっと、前世代の日本人が、越えられなかった壁を軽々と越して見せているのは、偶然なのでしょうか?

 

これは、「さとり」世代の最大の特徴で、ゆとり教育は、天才を育てる教育システムということです。

大量生産、大量消費が是とした時代には、工場勤務に適する人材を育む必要がありました。つまり時間をまもり、不平不満は我慢させ、上下関係で生産をさせるスタイルです。つめこみ型の学習で求められるものは、我慢、そして我を殺す忍耐力です。

反対に、産業構造が変わった結果、求められる人材は、磨かれた個であり、時代に変革をもたらすイノベーションです。ジョブスと、ビルゲイツという2人の天才を生み出したアメリカは、100兆円をこえるマーケットと、膨大な雇用を社会にもたらしました。日本においても、目立った成績がでているのがスポーツなだけで、これからの世代が社会にもたらす福音が、かならずや社会に穏やかな変革をもたらすものと家訓二ストは考えます。

 

世間的には、ゆとり世代の、弊害だけがクローズアップされる報道が多いです。

しかしどの世代でもしょうない学生はいるもので、盗んだバイクで走りだす?団塊jrより、よっぽど出来はいいと考えます。

 

社会にイノベーションをおこす人材なくして、閉塞感のある時代を切り拓くことは、不可能です。ゆとりは、この背景にそって取り入れられた制度です。20世紀初頭、電線を貼り巡り、白熱灯の発明で、まちに明かりをもたらしたエジソンは、劣等生として知られていました。同じように、相対性理論で有名なアインシュタインは落第生でした。彼らの多くは知識重視の教育システムの中では、落ちこぼれでした。ではなぜ彼らは偉業を成し遂げたのでしょうか?それは彼らには、本人の努力を前提として才能が評価されるチャンス、つまり「ゆとり」があったのです。

 

つめこみ型の悪弊は、点数でしか人間を評価できない点です。しかし、ゆとり後の評価システムの中では、批判はあるものの、前の世代にはない解放感が満ち溢れていると考えます。 どの世代でもダメな奴はいる。そしてできる奴は、ほおっておいてもできちゃうもの。問題はどこに定規をあわせるか!?という判断ではないでしょうか?

 

アインシュタイン博士は、「学校で学んだことを、一切忘れてしまった時になお残っているもの、それこそ教育だ。」と表現しました。所詮学校の教育なんてそんなものなのです。そして、天道説をとなえたガリレオ・ガリレイは、こん名言を残しています。「どうして君は他人の報告を信じるばかりで、自分の眼で観察したり見たりしなかったのですか」っと。。。

 

さとり世代は、浮かれません。浮かれないということは、案外冷静に時代をみている証拠です。これはガリレオの指摘する自分の眼で見ていることに他なりません。

「最近の若者は・・・」っというあなた、そんなさとり世代に抜かれるのは、時間の問題ですよ! 家訓二ストも、団塊Jrの世代として、自らの本分をまもり、新しい世代の価値観を理解したうえで、登ってくる若手は全力で芽をつみたいとおもいます^^; 世代間の戦いなんてそんなもの。それが日本人として受け継がれてきた「時代」への責任なのではないでしょうか?

 

時代は、ゆとりから悟りへ・・・

祇園精舎の鐘がなる前に、独善でいいあなたの声を聞かせてください。

悟りから、家訓へ・・・ うまくまとめられないので、このままドロン♪いたします^^ 「ドロン」の意味がわからない悟り世代のみんなは、お父さんお母さんに意味をきいてね^^;