「雑草という名の草はない」 昭和天皇がつくった森

画像:皇居の森
画像:皇居の森

神社の本殿の中になにがあるか・・・皆様はご存知でしょうか?

答えは、なにもない・・・というのが正解です。

 

しいていえば「いる」が正しい表現かもしれません。

 

キリスト教の寺院は、どれも荘厳で、その中心には、カソリックではキリストの像、プロテスタントには、十字架があります。仏教でいうと、そこに仏像があるはずです。しかし神社には「ない」。本殿のなかに安置された御簾をあげても、簡素な鏡と、依り代があるだけです。これは、偶像崇拝を嫌うイスラム教に近い考えかもしれません。

 

いま、日本の中心に位置する皇居には、深い森が鎮座しています。

ぼくたち日本人には当たり前に見える光景も、世界的にみれば異例なことです。バブルの時代、23区全体を売却すると、アメリカを購入できました。仮に皇居だけを売却しても、ニューヨークはもちろん、周辺の2~3の州は買えるだけの資産価値がありました。

 

しかしその中心には、なにも「ない」。天皇陛下がお住まいになられる簡素な宮殿と、ぽっかりと「森」が鎮座しているだけです。

狂乱物価のバブルの時代をして、皇居の有効活用などというくだらない議論がでなかったことに、日本人の「祐徳」性を感じます。これは、日本の民族性と豊かさを象徴し、大きくいうと日本国全体の本殿が皇居であり、その中身が「森」(なにもない)なのではないでしょうか? 皇居全体が神社であり、不可侵の神域ともいえそうです。

 

皇居は、江戸時代、徳川幕府の中心として様々な行政施設や、将軍の住まい、有名な大奥などが点在していました。明治になり京都から天皇が遷宮をされたのちも、いまのような姿ではなかったようです。

日本の中心を森にかえたのは誰なのか?その方こそ、皇居をお住まいとされていた昭和天皇、ご自身なのです。

 

1937年、昭和天皇は、ゴルフ場として利用されていた吹上御所内の敷地を、自然林に戻す計画をたて以後90年近くかかり、大都心に自然がよみがえりました。その敷地は、115万平方メートル 東京ドーム25個分。最近の調査では、カワセミやホタル、たぬき、紅糸とんぼ、そして自然の豊かさを象徴するオオタカが生息しているそうです。

 

皇居は、世界初のビジョンにもとずいた多様な自然回復(ビオトープ)の成功例と、家訓ニストは考えます。

ビオトープとは、Bio(生物)、Top(場所)の合成語で、多種の生物たちがつながりをもって生きられる場所(環境)を意味します。日本で、ビオトープ の取組が始まるのが1990年代。本家といわれるドイツでも、1908年 ルードリッヒ・ダールが、ビオトープの概念を発表しているものの、実践がはじまるのは、まだまだ先のお話です。

 

いまだに多様性を無視し、河川敷をガンガンコンクリートで固める御役人様に比べ、昭和天皇の示されたビジョンには、はるか天より見通すような慧眼を感じます。

生物学者としても活躍された昭和天皇は、できるだけ人の手をいれず、そして100年、200年という単位の計画で、都心のど真ん中を森に変えられました。また、一節には、1923年におこった関東大震災の被害をみて、万が一の避難場所として森を残したとも言われています。

 

慈愛と、確かなビジョン。そして行動力に溢れた昭和天皇は、自身のつくられた「森」についてこんな言葉を残しています。

「雑草という草はない。どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる」

 

  侍従長だった入江相政(すけまさ)さんが昭和天皇の言葉として紹介しています。 昭和天皇の留守中に庭の雑草を刈っていた入江さんに対してなぜ草を刈ったのか尋ねたところ「雑草が生い茂って参りましたので、一部刈りました。」という答えに対して仰った言葉です。

 

 

近代的な都市群のなかで、皇居という森があることに、外国人の方は驚くそうです。西洋では、自然は克服するものであって、事実、公園はあっても、自然林がない。。。というのがヨーロッパの環境なのです。キリスト教圏では、森や自然は、全能の神の考えが及ばぬ闇であり、城壁を必要以上に高くしているのも、異民族というより、自然と、文明社会をわける必要があったのかもしれません。しかし、日本では、森の中に神を感じ、畏れ、敬い守ってきた文化があります。樹齢何百年という木が、街中にあるということは、何百年と不届きものがいなかったという証拠でもあり、また見守ってきたご先祖さまがいた証なのです。

 

古代、神社には神殿もなく、ただしめ縄など、神域をしめす祭事をとりおこなう場所であったようです。山や森、川などを神としてあがめ、祖先の霊は山や川を通じ行き来をするというのが、日本の宗教観です。お盆やお正月は、仏教の行事でなく、この素朴な感覚をもとにした行事です。神社が持つ最も大きな意味と価値とは、我々日本人が歴史を通じて常に神々と共に在り、神々に祈る生活を続けてきた事実を示していることにあります。

その神々が自然の中に祀られているという事実は、人間の最も根元的な生命への畏敬の情を、日本人の心の姿を現し、且つ、昭和天皇は、自らの意思で、都会のど真ん中に「自然」をおつくりなられました。

 

あらゆる面で、日本を象徴する昭和天皇、そして陛下が創った森があることに感謝します。

そして、勘ですが、あの森には、トトロが「いる」と思います(--〆)

 

あ~日本に生まれた良かった^^

 

セミナーの開催先で、家訓二ストの家訓はなんですか?と聞かれることがあります。その答えは、「人生に無駄なものはない!」です。2度の交通事故がわたしの人生をかえ、いま家訓をひろげる活動につながっている逸話?を基に採用させていただきました。

交通事故は、ハッピーなことではありません。しかし、良い経験も、悪い事態も、気の持ちようで、無駄なものなど、何もない!と感じたからです。

そして、今回ブログで紹介させていただいた「雑草という名の草はない」。昭和天皇の遺された素晴らしい名言です。家訓としてしまうには、あまりに自分が幼く、そして不敬罪かな・・・とも思いますが、「人生に無駄なものはない!」より、かっこいいので、新・幡谷家家訓として、採用いたします。

 

「雑草という名の草はない」

昭和天皇が100年の計画で、森を育み、国民の行く末を案じたように、

二ストも、家訓づくりを通じ、1000年の計画で、子供たちを育み、日本の行く末をちょっとだけ豊かなものにしてみせます!