ダウンタウンの才能から考える「目的」と「目標」の違い

画像:ナンシー関の消しゴム版画
画像:ナンシー関の消しゴム版画

先日のブログで紹介した「目的」と「目標」の違いでは、多くの皆様からコメントをいただきありがとうございます。

 

ご好評につき、今回は、ダウンタウンの松本人志と、浜田雅功の発言から、ビジョンの大切さを考察し、且つこの世に松本人志という天才をもたらした神様に感謝したいと思います^^

 

ダウンタウンは、大阪尼崎出身の二人組によるコンビで、2人は、小学校以来の同級生だったことが知られています。

1982年、創立されたばかりのNSC(吉本総合芸術学院)に揃って入学したところから、物語は始まります。ちなみにこの時は、印刷工に就職が決まっていた松本を、浜ちゃんが強引に勧誘しコンビを結成したそうです。浜ちゃんが声をかけなかったら、松本の笑いは、尼崎のおもろいおっちゃんレベルで終わっていたことでしょう。浜ちゃんエライ^^

 

NSC入学後、2人は数々の伝説をのこします。まず、2人だけ授業料を免除されたこと、そして講師として訪れていた島田伸介を驚愕させ、のちに、漫才師から引退することを決意させた点です。

とはいっても、時代の先駆者は、理解されにくいもの、デビュー後数年は、不遇の時代をすごしいわゆる下積みを経験しています。

今回、ご紹介するのは、そんな時代に2人が残したコメントです。

 

デビューしたての二人にインタビューし、将来の夢を語らせた雑誌に、浜ちゃんと松本は、こんなコメントを寄せました・・・

 

問い:将来の夢は?

浜田:「芸人として売れて豪邸に棲みたい^^」

松本:「日本の笑いのレベルをあげたい」

 

浜ちゃんは、世田谷に大豪邸を建て、夢を実現させています。

そして松本は、日本の笑いのレベルをあげました。これは、すごい! 且つデビュー当時から明確なビジョンをもち活動してきたことが分かるエピソードです。

浜ちゃんが掲げたものは「目標」。そして、松ちゃんが指し示したものこそビジョンという名の「目的」です。

 

では、ここで天才・松本人志が成し遂げた奇跡の数々を検証し、「日本の笑い」をどう変えたのか?ランキング方式で検証してみたいと思います

 

第1位 ナンシー関に絶賛された

第2位 好きな男性のタイプ1位が「おもしろい人」になった

第3位 お笑いの地位向上のため、コラムを連載。「遺書」「松本」は、それぞれ200万部以上の大ヒット

第4位 松ちゃんのボケを拾うため、画面にテロップが出るようになる(以後スタンダード化)

第5位 お笑い番組のDVD化の先駆者(こちらもスタンダード化)

 

さらに、流行らせた言葉のすごすぎます。代表例だけでも

「イタイ、いらっとする、SかMか、逆に、逆切れ、さむい、からみにくい、さむい、グダグダ、すべる、ドヤ顔、だめだし、へたれ・・・」

 

松本人志の凄さは、視聴率をとる人気者という枠でなく、時代を切り拓く、プロデューサーとして活躍した点です。たとえば、同じ視聴率20%ごえの人気番組でも、たけし、さんま、タモリの三人の笑いは、DVD化に向きません。それは、笑いの質の違いともいえますし、お金を出させるだけの底力の差とも解釈できます。

また、「所詮、お笑い芸人・・・」といった考えに強く反発し、芸人の社会的地位向上のため、著作を発表し社会をするどく批評する一方、アーティストに対抗し、お笑い界初の武道館での単独ライブや、入場料をきめない後清算方式のライブ(お客さんの満足度で自分で金額をきめるシステム)を主催するなど、時代と戦ってきたました。野球放送で、自分の番組がカットされた際には、放送局と激しく対立し、番組打ち切りを宣言しています。松本いわく、野球と笑いとどっちが大事か!?と・・・

 

やりすぎ?とも思える芸人・松本人志の行動も、最初に紹介したビジョンをみれば、彼が一貫した行動をとってきたことがお分かりできるかと思います。そして、彼の目録どおり、日本の笑いのレベルは確実にあがりました。芸人だけが楽屋でつかってきた隠語の数々が、松本の行動を通じ、「すべる」、「ボケる」っと一般的な言葉になったのがその証拠です。

いま、女性が男性に求める好きなタイプのNo.1は、「おもしろい人」です。これは松本が提示した日本の笑いのレベルがあがったことに由来していると家訓ニストは考えます。ヒトを判断する際、それまでの時代になかった「おもしろさ」という定規を世の中にもちこみ、見事普及させたのです。

かれは、稀代の芸人であり、イノベーションをおこした先駆者でもあるのです。

 

ビジョンを掲げ戦い、そして勝った松本人志は、まぎれもなく天才です。社会に新しい価値を提示することは、事業を成功させることよりはるかに難しく、はるかに尊いものです。事業に成功したマイクロソフトのビル・ゲイツよりも、新しい価値を提示したアップルのスティーブ・ジョブスが人気があるのも、うなづけます。

 

しかし、文字数をついやし家訓ニストが松ちゃんを語っても、結局凡人にわかるわけもなく、天才は天才でしか語れないのかもしれません。

最後は、もうひとりの天才、ナンシー関さんの力を借りて締めくくりたいと思います。

 

ナンシー関さんは、90年代のテレビ業界で恐れられた日本唯一のテレビ批評家にして、伝説の消しゴム版画家です。その眼力のするどさと、核心をついた毒舌コラムが人気となっていましたが、40歳の時、病に倒れ帰らぬ人になってしまいました。

ちなみに、家訓ニストのダウンタウンのおススメコントは、ごっつうええ感じで、不定期に流されていた「料理研究家のキャシー塚本」シリーズです。ナンシーさんも指摘している松本の狂喜がわかる作品ですので、ぜひごらんください

 

では、生前、デビューしたての無名の時代から、ダウンタウンを 賞賛しつづけたナンシー関さんのコラムはこちらです

(※ちなみにナンシーさんがタレントを褒めることは殆どありませんでした(*_*)

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「ダウンタウンとウッチャンナンチャンを一緒にしてしまうことは間違っている。 百歩譲って、テレビタレントとして同ランクに並ばせることは仕方ないとしよう。 しかし「お笑い」という表現方法をとろうという人間である点で考えたら、その能力に差がありすぎる。ウッチャンナンチャンは近所の陽気な兄ちゃんである。かたやダウンタウンは 10年の1人のつっこみの天才浜田、笑いの狂気松本ダウンタウンは桁が違うである。

 

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 ダウンタウンは、ある意味で「庶民感覚」が欠落している部分がある。この庶民感覚というのは、普段この言葉が表すところの金銭感覚や生活習慣に関する慣用句としての意味のそれではなく、文字通りの「様々な事象に対する世間一般の平均的な感情」を指す。

それを痛感したのは、貴花田が初優勝した翌日に「あのブタ、優勝したらしいで、ケッ」と言い放ち、バルセロナオリンピックの最中に柔道の田村亮子選手を「なにが柔ちゃんや、あれ妖怪タンコロリンやん」と心底バカにする、といった場面である。

 

世間からチヤホヤされているものに対して、それをおとしめるような事を口にするという「裸の王様」式のレトリックは、すでにお笑いの常套手段となっている。

 

しかし、それには「みんなも薄々そう思っている」という絶対条件がつく。

が、ダウンタウンの場合、その絶対条件を無視する場合が往々にしてあるのだ。貴花田と柔ちゃんは、それぞれ時期的に「全国民の絶対的好意」を取りつけている最中であり、加えて優勝や銀メダルといった「実(じつ)」をもそなえているのだから、言ってみれば「王様は裸ではない」状態に十分あったのである。しかし、それをも「裸である」と言ってしまうのがダウンタウンのすごいところだ。いや、言ってしまうことは誰にでもできるのである。彼らには、「裸」に見えているというのが真のすごさであると言い直そう。

 

彼らがよく使う「キツい」もしくは「キッツい」という大阪弁は、彼らのものを見る基準値である。

貴花田も柔ちゃんも、彼らのものさしで測れば「キツい」のゾーンに入っていたのだ。このものさしの設定位置こそ、俗に「感性」などと呼ばれる生来の能力なのだろう。ダウンタウンの設定位置は、高い。飛び抜けて高いと思う。

 

それは、彼らから感じられる「(お笑い能力の)地肩の強さ」の根拠でもある。そして、この「地肩の強さ」が、お笑いの全てだと私は思う。「掛け合い」や「間(ま)」のテクニックによる「うまい漫才」の絶妙や、「あるあるある」で共感の確認をするだけみたいなお笑いに、もう魅力はない。