家訓二ストの日本神話研究
画像は、CMで有名になった島根宍道湖にかかる「ベタふみ坂」高さ、45m。100mにわたる上り坂は圧巻ですね(*_*) そして、この高さと、長さ。出雲大社に伝わる古い社殿と同じ寸法であることを、昨日きづいてしまいました! 宍道湖は出雲にも近く、偶然か?はたまた大国主のイタズラか?
熱田神宮~伊勢神宮と聖地をめぐる旅のなか、あれやこれやっと感じたことをブログにまとめました。物語は、名古屋JCさまの2月例会から始まります・・・
名古屋JCさまの教育再生フォーラムの席上、基調講演をいただいた、明治天皇の玄孫にあたる竹田先生から、次のようなお話を伺いました
「真実は、真実。事実と真実は違っていてもいい」
一瞬、詭弁にも聞こえる言葉ですが、自分と違う第三者を理解するうえでは、重要な考え方だと感じます。そのひとが信じる「真実」は、そのひとにとっての本願であり、それを否定する権利は、他のひとにはなく、つまり大きなお世話です。
僕にとって、巨人を応援する輩は、頭の弱い残念な人だと思いますが、それは大きなお世話だし、逆に、バースを神だとする僕を、あなたは、アホ?あるいは、誰?と切り捨てることでしょう。
真実は真実。事実と真実はちがっていてもいい。この考え方は、世界のなかで、宗教に対する向き合い方でも証明することができます。ヨーロッパ諸国で、キリストの存在を否定することは、社会全体を貶める行為にあたります。つまり、聖書に書かれたキリストの一生を解読し、処女母胎(神の子として誕生したこと)や、イエスの復活(処刑されたのち、生き返ったこと)を、科学性がない!ので、キリストはいませんでした!っと断罪することに何か意味があるのか?という話です。
まあ普通に考えば、SEXなしに子供は生まれません。また、死んで一か月後に復活もしませんね(>_<) しかし、それは東洋に暮らす島国からみた視点であり、キリスト教徒の信じる「真実」は「真実」。あるいは、イスラム教徒、仏教徒。それぞれが支持する内容は、どれも「真実」であり、それが事実か否かは、違う次元のお話なのです。
そして日本には、古くから伝わる神話があり、意識しても、していなくても、あなたは神話の延長線上で生活しています。その神話を架空の物語である!というのは簡単ですが、ちょっと足をとめ、神話の世界と現代につながる物語を検証してみましょう。
神話と、現代社会が連なる国、日本。では、どの辺でつながっているのか?これは、日本の元首であり、いまも今上天皇として皇居にお暮しになられている天皇家の歴史と密接につながっています。憲法上、象徴とされる天皇にありながら、総理大臣の任命、国事行為、各国大使への拝謁など、国を代表する存在として君臨されています。とくに、総理、大臣の任命とは、すなわち法律の整備や、行政、日々の生活まで、その担保となるものが、天皇の権威によるものだと理解できます。気づいていなくても天皇を介し、あなたもわたしも、神話に根差す神の民です。
伊勢神宮に奉られる「アマテラス」を祖先に、ニニギノミコトによる天孫降臨、そして神武天皇の東征、橿原の地での即位・・・ 紀元660年から始まる皇室の歴史は、神話の世界に根差しています。
これを否定する学者さんが、指摘するのは、初代~10代までの歴代天皇が、100歳をこえる長寿であったことを挙げ、実在を否定するロジックです。しかし、神話や歴史書の表現が誇張されることは当然で、その中の一部分をとりあげ、神話全体を否定するのは、間違いではないでしょうか? たった70年前の新聞を読んでください。大東亜戦争の当時、どれだけの「事実」が報道されていたでしょうか? 事実は権力者によって歪んで発せられるものなのです。
そのうえで、家訓二ストは日本の神話にかかれた内容は、真実であり、事実に近い事柄を記したものと考えています。近年の発掘調査の結果、考古学からのアプローチで、神話の世界が史実と、リンクしはじめました。
バチカン市国に存在するサンピエトロ寺院。カソリックの総本山として知られていますが、なぜ聖地とされているか、皆様は、ご存知でしょうか? これは弟子のペテロのお墓の跡とされ、ローマ時代には巡礼者のための聖堂がたてられ、以後何度かの改築をへて大聖堂ができあがりました。そして、50年前には敷地内で発掘も行われ、お墓であったことが調査されました。ギリシャ神話では、トロイの木馬で有名なトロイは、架空の街であるとされたものがシュリーマンの発掘によって実在が証明されています。そして日本でも、出雲大社本殿脇で、大きな発見がありました。天の宇豆といわれる大きな柱が発掘されたのです。これは、中世に48メートル。古代には98メートルと伝えられてきた社殿の高さを証明させる大発見でした。この発見は、「わ~高かったんだね」という意味でなく、神話に示された国譲りの物語が、実際に行われたっというように解釈すべきです。
古事記では、出雲大社の起源をこう記しています。大国主神は国譲りに応じる条件として「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう」と述べ、これに従って出雲の「多芸志(たぎし)の浜」に「天之御舎(あめのみあらか)」を造った。
そして、そもそも国譲りとは、正式には、葦原中国平定(あしはらのなかつくにへいてい)と記され、日本神話において、天津神が国津神から葦原中国の国譲りを受ける説話です。出雲を支配していた大国主神が、アマテラスの子孫に国をゆずるよう説得され、様々な物語をへて、国譲りがなされ、互いに、現世の支配圏をアマテラスがもち、黄泉の国(死後の世界をふくむ説明できない世界、あるいは神の世界)の支配圏を大国主がもつことで合意されました。
この合意の証となるものが、前述の天に届く神殿なのです。
そしてアマテラスは、この神殿を建て、さらに常しえに奉ることで、国譲りに感謝し、黄泉の国を治める大国主の荒ぶる魂を納め、自身の現世での支配を確立してきました。つまり、アマテラスから、神武天皇。そして、125代をかぞえる天皇家の歴史も、この神話が「根拠」に値します。たとえれば、カソリック教徒における聖地が、サンピエトロ寺院のように、天皇家にとっても、この出雲の地が、天皇を天皇たらしめる聖地なのです。この話は、物語でなく、事実と感じるのは僕だけでしょうか? 実際、平成になり今上天皇が、出雲大社を訪れた際にも、国譲りに感謝する御歌をささげられています・・・
神話の中には、現代の感覚でいうと理解しにくい虚構も含まれています。しかし、人々が、長く言い伝えてきた中で、誇張や吹聴がまざるのも、当然のこと。ましては文字のない時代に、この国を造った先人たちは、伝えなくてならない記憶を「神話」として、古代から現代に伝えてくれたのではないでしょうか?
神話の発掘は、これかも続くでしょう。その証明がされるのは、100年後、あるいは1000年後かもしれません。しかし大切なことは、神話にこめられた真実という名のタイムカプセルを次の時代に伝え、次代、時代にゆだねていくことなのではないでしょうか?
家訓は、皆様の人生でえた経験を、教訓にかえ伝えるものです。伝えたい言葉、その選定があなた自身を現し、あなたが選ぶ言葉であっても、実は先祖からつづく価値観のもと、時代、次代に選ばされていると家訓二ストは考えます!
あ~日本に生まれてよかった^^ 今日は日曜日。太陽と、神話に感謝し、二ストにとってもう1つの神様、タイガースのオープン戦をみて休日をエンジョイさせていただきます。皆様、豊葦原中国(豊かな国、日本の意)で、良い休日をっ
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