日本一分かりやすい「権利」の話し ~権利の誤訳から~

画像:さすがの諭吉先生!
画像:さすがの諭吉先生!

 家訓二ストの日本一分かりやすい「権利」の話し。

 

「権利」を英語で書くと「Right」

「Right」には、第一義に「正しい」という意味があります。

つまり「権利」には「正しさ」が内包していないとならないのです!

 

以上。アホは、ほっとけ!という話でした。あ~すっきりした^^ 

 

明治の初め、多くの英語を和訳していく作業のなか、権利は、誤訳である!っと福沢諭吉先生は、強く指摘し、さらに未来に禍根を残すとまで、予言されました。平成の御世、まさに諭吉の予言があたってしまいました。

 

家訓二スト流の解釈では、「徳」とは、良心。

良心とは、「正しい心」。正しい」を英語でいうと、「Right」。

正しさのない権利は、権利でなくただのワガママなのです。

 

文句ばかりいうモンスターペアレンツの問題。しかしそこに正義がないのであれば、「権利」は無視していいだけのことです。

結局、バカは死んでもなおらない。ほっとけっという話でした。

最後に2つの「権利」のお話を紹介させていただき、そこに「正義」があるか?皆様なりのジャッジしてみてください

 

 

■ その1産経新聞より 

 

【主張】子供の権利 甘やかさない教育必要だ  

sankei.jp.msn.com 

 

「子供の権利」を誤解した条例づくりが依然として後を絶たない。長野県が「子ども支援条例(仮称)」の制定作業を進めているが、甘えやわがままを助長する内容にしてはならない。子供の権利が強調されるようになったのは、20年前の平成6年に、日本が国連の「児童の権利条約」を批准したことがきっかけだ。12年に川崎市が「子どもの権利に関する条例」を制定するなど、各地の自治体で同種の条例がつくられた。

 

 国連条約の本来の目的は、子供を飢えや病気、虐待などから保護することだ。しかし、自治体の条例では、子供の「意見表明権」といったものまで加わり、権利をはき違えたわがままを許す風潮が問題になってきた。例えば親が子供部屋に入ると、「プライバシー侵害」だと子供が文句を言う。国連の委員会の場で日本の高校生が、制服を義務づける校則に反対して「意見表明権」を持ち出し、海外の委員から「制服もない国の子に比べ幸せ」などとたしなめられた例もある

 また高知県では、条例の審議過程で「休む・遊ぶ」権利が批判を浴び、削除された。子供に媚(こ)びる前に、教えるべきことを教えなければならない。最近も、いじめや児童虐待などが相次ぐ中で、子供のための条例を検討する自治体がある。

 

 長野県で検討されている条例の骨子案では、保護者が教育に責任を持つことや、子供に規範意識を身につけさせることが盛り込まれ、過度に子供の権利を強調しない内容にはなっている。しかし、その趣旨は条例名にあるように、子供の「支援」を内容としており、誤解を懸念する専門家もいる。子供の顔色をみるばかりで、厳しい指導ができないというようでは困る。慎重に検討してもらいたい。

 

 滋賀県で開かれている日教組の教研集会では、委員長あいさつで「子供の権利としての教育ではなく、国家の意思としての教育が前面に出ようとしている」などと言及された。規律や公共心育成などを重視した安倍晋三政権の教育再生の取り組みを暗に批判したものとみられる。

 

 しかし、わがままを正せない親や教師の教育こそ見直してもらいたい。だめなことはだめとしっかり教えたい。

 

 

■その2 

  

ある日のテレビ討論の番組で、売春をしていた女子中学生が他の出演者から責められていました。ところがこの女子中学生、周囲から何を言われても、キョトンとしていたのです。

 

 で、この女子中学生の発言の番が回ってきた。

 そのとき彼女が言ったのが、

 

 「で、あたし、誰か、人に迷惑かけた?誰か被害受けた人いるの?いないでしょ?私が何をしようが私の勝手じゃん。私にだって権利があるんだから!」

  

彼女のこの言葉に、それまで彼女を責め立てていた周囲の者は、誰も言い返せなかったそうです。1分間くらいの沈黙が続いた。しかたなく番組は、コマーシャルに切り替えた。

 

 さて。みなさんなら、この中学生に何と言い返しますか?

 

出典:

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1684.html

 (「ねずさんのひとりごと」より)

 

 

日本人は、古来より、お天道さまが見ているっという素朴な道徳感を大事にしてきました。

 

法による支配であれば、つかまなければいい。あるいは、法に記載のない罪については、問われない。そんな矛盾がうまれます。たとえば、日本で最初にハイジャック事件が起こった時、ハイジャックについての法律がなければ、犯人は、罪がない形になります。しかし、そこに「正義」はありません。

 

権利は誤訳であるとして、次に考えなくては、いけないのは子供の権利があるのか?という問題です。

これも簡単にいえば、子どもは「正しい」心を身に着けている最中。なので選挙権もないし、各種の権利の発生しません。ただし、自明の理。親による虐待や、過酷な労働。そこには「正義」がありません。この時は、子どもの権利を優先すべきです。

 

以上、日本一簡単な「権利」の話しでした。

正しい心をみつける家訓づくりプログラム。そしてご家庭内での「家訓の唱和」で、正しい心を自分に、家族に、子ども達に伝えていってください! これは、権利ではなく義務なのです<(`^´)>  そして二ストは、マストでノーベル賞をいただきます!