ジョン・レノンの奥様は、前衛芸術家として今も活躍するオノヨーコ氏です。そしてオノヨーコを通して、ジョンが日本文化に深く傾倒していたことも知られています。
著作では、オノヨーコの従兄弟にあたる加瀬氏が、ジョンとの交流を通じてえた様々な経験から、神道との意外なつながりを解説しています。著者は、次のように述べています。
「ジョンは口癖のように、『okagesamade(オカゲサマデ)』という言葉が、『世界のなかで、もっとも美しい』と、いっていた。
日本では、人が自分1人の力によらずに、神仏や、祖先や、自然や、あらゆる人々である世間のお蔭を蒙って生きていると、考えられた。
ついこのあいだまで、日本では世間体が人にとって、何よりも大事だった。日本人にとって世間というと、天と同じような存在だったっと・・・
今回は、家訓ニスト社会科学シリーズとしてジョンが愛した【お陰様】という美しい日本語をディープに考察してみたいとおもいます。
ニストが【お陰様】というキーワードで思い出したのが、この話・・・
「カゴに乗る人、担ぐ人。それまたワラジをつくる人」
お世話になった方に「ありがとう」という。ここまでなら大抵の人ならできるはずです。
問題は、「お世話になったのは、誰か?」という範囲の問題です。
これを、カゴの話にプロットすると、かつぐ人に「ありがとう」という。これは比較的簡単なこと、しかし、ワラジを編んだ人に、「ありがとう」といえるでしょうか?
同じように、カゴをつくった人、あるいは、道を整備した人、掃除をした人、送り出した人、待っている人・・・ 私たちの日常では、目に見えないたくさん「ありがとう」で世の中が作られていることがお分かりでしょうか?
目に見えないアリガタイこと。これを総称して「陰」そして尊称をつけ「お陰様」っと表現しているとニストは考えます。
辞書をひくと、神仏などの偉いものの「陰」で、その庇護(ひご)を受ける意味で使われてきたとあります。この時の神仏は、神道のいう八百万(やおよろず)の神さまです。つまり、日本では、人が自分1人の力によらずに、神仏や、祖先や、自然や、あらゆる人々である世間のお蔭を蒙って生きていると、教え伝えれてきた民族なのです。
加瀬氏は、本の中で、こんな指摘をしています
「明治時代まで、日本語にな個人や、個性という言葉すらありませんでした。」
ニスト流に解釈を加えると共同体、コミュニティーのなかで、「自分」を示す記号は、【家】が最小の単位であったと考えます。
今でも、おかんは、「世間体が悪い」とか、「ご先祖さんあわす顔がない」っとしょうもないことで大げさに騒ぎ立てます。しかし、【家】という単位で考えれば、わたしの一足一答足が、世間様に迷惑をかけていないか? 個人でなく家単位で考えることで重要なファクターにあたることが分かります
【お陰様】という視点にたった時、個人というものの安っぽさと、自分ひとりできることの少なさに唖然としないでしょうか?これは、世間に生かされているという思想で、森羅万象に神をみる日本人は、【世間】をも、神としてみていることに気づかれます。
その証拠に、世間を神として、畏れて敬ったことでいまでも、コンビニ、ファミレス、JCの会義まで?『~紹介させていただきます』とか、『ご注文を繰り返させていただきす』とか、『~させていただきます』を連発する。これは、外国語にはない表現だそうです。
自分の力だけではなく、そのように世間に『させていただいた』ことに、胸のなかで感謝している現れだとニストは考えます。世間様にむけて、恥ずかしい行ないをしていないか?ひつこいぐらいガミガミいうおかんの気持ちが、ジョンのおかげでちょっとだけ分かりました(>_<)
過去、家訓づくりプログラムでは、「ひとに迷惑をかけない」という家訓を創るお父さん、お母さんがたくさんいました。報恩感謝、恩に報いるためには、お陰様の気持ちに満たされる時、今度は、自分自身が誰かの陰になり善行を施す必要があります。善行っといっても、駅前に花を植えたり、道を掃除しろっという話でなく、素朴な気持ちで、「ひとに迷惑をかけない」という姿勢を貫くことで、「感謝」が社会に満たされるのではないでしょうか?
「人に迷惑をかけない」という生き様は、「お陰様」の哲学を実践する美しい日本語であると家訓ニストは考えています。
コミュニティーの喪失や、行き過ぎた個人主義、拝金主義っと、「今」を語るキーワードは、ろくなもんじゃありません。しかし私自身も意識していないだけで、ご先祖さまから受け継いだ「お陰様」の気持ちは、ぼくにも、あなたにも、この日本中に空気のように満たされているっと二ストは信じます。
「今」の世の中は、過去から伝えれてきたもの。
そして、わたし達は、未来の「今」のために、日本に伝えられてきた大切なものを子どもに、伝える義務があるのではないです。
家訓づくりの正義はここにあります。
僕のことを夢想家だと言うかもしれません。でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になってそして世界はきっとひとつになるんだ!
OKAGESAMAから、お陰様へ。そして、家訓から、世界のKAKUNへ・・・
最後に、著作のなかの一文と、ジョンレノン「イマジン」を引用して考察をとじたいとおもいます。
(「ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか」より)
ジョンに、神道には、空のどこか高いところに天国があって、大地の深い底のほうに地獄があるという、突飛な発想がないし、私たちにとっては、山や、森や、川や、海という現世のすべてが天国であって、人もその一部だから、自然は崇めるものであって、自然を汚したり壊してはならないのだと、説明した
その後、ジョンとヨーコは靖国神社、さらに足を延ばして、伊勢神宮を参拝しました。ヨーコがジョンを説いて、連れていったのだそうです。
(「ジョン・レノン」イマジンより)
想像してごらん 天国なんて無いんだと
ほら、簡単でしょう?
地面の下に地獄なんて無いし
僕たちの上には ただ空があるだけ
さあ想像してごらんみんなが
ただ今を生きているって...
想像してごらん 国なんて無いんだと
そんなに難しくないでしょう?
殺す理由も死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
さあ想像してごらんみんなが
ただ平和に生きているって...
僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
きっと世界はひとつになるんだ
想像してごらん 何も所有しないって
あなたなら出来ると思うよ
欲張ったり飢えることも無い
人はみんな兄弟なんだって
想像してごらん みんなが
世界を分かち合うんだって...
僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
そして世界はきっとひとつになるんだ
コメントをお書きください
sextelefon (火曜日, 31 10月 2017 21:29)
Kołczewo
seks tel (金曜日, 17 11月 2017)
bigować