日米開戦の日に考える「守るべき」こと

画像;靖国神社
画像;靖国神社

128日 太平洋戦争開戦と、「時間」をめぐるエピソード

 

メガロポリス茨城では、時間は守るっという概念がありません。

そもそも、みんな守らないので、目くじらもたてません。

 

ルールとは、社会のなかで、なんとなく決まるものです。

しかし、そのルールは、社会を写す鏡です。

 

海外では、日本人は、時間を守る民族といわれます。おのおのが、自分の責任で、時間を守ることで、社会的に時間のロスを避けて暮らせるなんて、すごい道徳心って感じないでしょうか?

 

無意識すぎて、気づきませんが、ルールは社会の鏡。

ズルして得をしてしまう事が許される社会では、悪がルールになり、逆に、ひとに迷惑をかけないというルールがある日本の鏡は、世界に誇るものでしょう^^

 

日本の歴史は、英雄のいない庶民の歴史。

そして、それを育み、次の時代に引き継ぐものが、「家訓づくり」と考えます。

 

 

そして、今日は、太平洋戦争開戦の128日。

この日の時間をめぐるエピソードを1つ。

みなさまは、時間を守るという当たり前のことをできなかったことで、今に続く汚名を着せられていることをご存知でしょうか?

 

 アジア・太平洋戦争は、一般的に「1941年12月8日(日本時間。ハワイは7日朝でした)に真珠湾を奇襲したこと」が始まりだったといわれています。 宣戦布告もしないでアメリカに攻撃した。 だから日本に原爆を落とすことは正しいことだった。 被爆者の方が聞いたら怒ると思いますが、これはアメリカでの歴史認識です。

 ところが、日本は宣戦布告をしたあとに真珠湾を攻撃する予定だったのです。
 日本大使館が12月7日午後1時(ワシントン時間)にハル国務長官に「宣戦布告」の文章を渡して、30分後に戦争を開始する計画になっていました。 しかし、宣戦布告が手違いで遅れてしまったので、アメリカ側に「奇襲攻撃」の口実を与えてしまったのです。
 ではなぜ、こんな「末代までの恥」を日本が受けなければいけなかったのでしょうか?

 
 真珠湾攻撃前日(ワシントン時間の12月6日)、日本外務省はワシントンにある日本大使館に「宣戦布告」の文章を暗号にして送りました。 この文章は14章に分かれ、「明日の午後1時にアメリカ側に渡せ」と書いてありました。
 
 しかし、こんな大事な文章をほったらかしにし、大使館員は全員大使館を引き払ってしまったのです。 では、大使館員はこんな大事なときにいったい何をしていたのでしょう。
 当日は寺崎英成(昭和天皇独白録の著者)が転勤するので、送別会に出席していたのです。
 夜遅くまで送別会で飲み、食べ、彼らは楽しい一晩を過ごしたのだと思います。しかし、その「楽しい一晩」は、将来の日本に大きな打撃をもたらしてしまったのです。


 翌朝、出勤した大使館員は、暗号の存在にきづくものの、午後1時が迫ったあせりから、文章をタイプするのが遅れてしまい、当然午後1時には間に合わない状態でした。
 ここで大使館員が電話などで宣戦布告をすれば、アメリカ側に「奇襲攻撃」と言われるようなことはなかったものの、そこは、いまにつづく「お役人様」、大使館員は学校の授業のような「答えのある問題」は出来ても、臨機応変性のない集団でした。
 

ハル国務長官に、「1時間約束をのばしてほしい」と電話で頼んでしまったのです。
 結局宣戦布告の文章が届いたのが午後2時20分。その時刻には真珠湾では日本軍の攻撃が始まり、アメリカ軍の戦艦が炎上して沈没していたのです。
 
 アメリカはこの出来事を口実に「リメンバー・パール・ハーバー」(真珠湾を忘れるな)を合い言葉に戦争に参加してしまったのです。現在でも、アメリカは日本に対して「だまし討ちをする卑怯な民族だ」という感情を持っている人がたくさんいます。
 
 では、日本にこんな汚名を着せるもとになった大使館員は、その後どうなったでしょう。 これだけの大罪を犯したのですから、普通ならやめなければならないでしょう。しかし、彼らは真珠湾攻撃前夜のことを秘密にして、誰にも話しませんでした。そして、戦後外務省の最高ポストである事務次官などになった人もいるのです。中には天皇から「勲一等」をもらった人までいるのです。
 
 また、当時の世界では宣戦布告は義務づけられていませんでした。
 現にアメリカも、今まで200回戦争した中で宣戦布告したのは5回程度でした。

 

参照:「各ブロガーいずくんぞ種あらんや」よりhttp://plaza.rakuten.co.jp/hidetaka1220/diary/200706230000/

 

 

 

人生のなかで、何を重要にすべきか?それは時々にかわることです。

大使館の怠慢を例にとると、外交的儀礼や、文章の構成を重んじたばかりに、汚名をきせられる失態を招いたことがわかります。大使の送別会には、全員参加!っといういかにも「らしい」ルールが、この問題の出発点であり、その後も、「ルール」に振り回され、一番守らなかればならない「13時」というリミットを逸脱したということに絶望感を禁じえません。

 

人生のなかで、何を重要にすべきか?

それをつくるものの、また「家訓」です。社会的なルールは、ルール。時としてそのルールを「守らない」ことも重要なのです。

 

かなり「イラっ」とする外務省のエピソード。同じ時期、外交をになった日本のシンドラーこと杉原千畝さんへの冷酷な仕打ちと重ねると、外務省という「村」のルールのイビツさががわかります。

 

 

本日は、未来を切り拓く日本人育成会義の東京での会義のあと、靖国神社参拝を予定しています。おっもうこんな時間だ(><) っていうか、1時間遅刻だっ^^;

 

我々は、何を大事にし、何を守るべきなのか?

そして、先達の英霊たちが守りたかった社会とはどんな社会だったのか?

遅刻してのぞむ罰の悪い空気のなか、遅刻の言い訳と、守るべき大切なものを考えたいとおもいます。