日本の偉人「日本のシンドラー 杉原千畝」

画像:杉原千畝
画像:杉原千畝

あなたは、どんな大人になりたかったでしょうか?

子どもの時、目標とする人物をもっていることは、勉強の面。なにより人間形成の面で大きな効果をもたらします。

 

かくいう家訓ニストは・・・ 思い出せない(><)

 

2011年の日本JCでは、そんな子どもたちのために「偉人伝」を。

そして大人たちには、「家訓づくり」を。

いい教材があっても、それを受け入れるシステムがないといかんね!っと、教育再生のための「熟議」を。

それぞれ、小委員会を担当し、日本の教育をかえる取り組みにチャレンジさせていただきました。

 

そして、今回ご紹介する「杉原千畝」さんは、会議体の発進の際、「徳溢れる日本人」として紹介させていただいた偉人です。

杉原さんの偉業は、まだまだ周知されていない部分がありますが、一人芝居で千畝さんの生涯を演じる水澤心吾さんの協力をえて、全国の仲間に発信させていただきました。

 

感じて、動くと書いて「感動」。そこに行動がない限り、学びもきづきもただのオナニーなのです。

不肖幡谷も、水澤さんのひとり芝居を拝見し、心が動いたメンバーのひとりです。とにかく涙が止まらない・・・ あの時の涙が、いまにつづく家訓をひろげる運動の原点になっています。

 

ここで、大好きWikipediaから、千畝さんの生涯を紹介させていただきます。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

杉原千畝(すぎはらちうね、1900年(明治33年)11 - 1986年(昭和61年)731日)は、日本の官僚、外交官。

 

第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られる。その避難民の多くが、ユダヤ系であった。海外では、「日本のシンドラー」などと呼ばれることがある。

 

(「杉原千畝物語」より 千畝の言葉)

最初の回訓を受理した日は、一晩中私は考えた。考えつくした。 回訓を、文字通り民衆に伝えれば、そしてその通り実行すれば、私は本省に対して従順であるとして、ほめられこそすれ、と考えた。 仮に当事者が私でなく、他の誰かであったとすれば、恐らく百人が百人、東京の回訓通り、ビザ拒否の道を選んだだろう。 それは、何よりも、文官服務規程方、何条かの違反に対する昇進停止、乃至、馘首が恐ろしいからである。

 

 私も、何をかくそう、回訓を受けた日、一晩中考えた。・・・果たして、浅慮、無責任、我無者らの職業軍人グループの、対ナチス協調に迎合することによって、全世界に隠然たる勢力を擁する、ユダヤ民族から永遠の恨みを買ってまで、旅行書類の不備、公安配慮云々を盾にとって、ビザを拒否してもかまわないが、それが果たして、国益に叶うことだというのか。

 苦慮、煩悶の揚句、私はついに、人道、博愛精神第一という結論を得た。 そして私は、何も恐るることなく、職を賭して忠実にこれを実行し了えたと、今も確信している

 

② 

世界は、大きな車輪のようなものですからね。

 対立したり、争ったりせずに、みんなで手をつなぎあって、回っていかなければなりません・・・・

  

では、お元気で、幸運を祈ります

 

ここに百人の人間がいたとしても、危険をかくごで、あのユダヤ人たちを助けようなんて、だれも考えないだろうね。

 

それでも、ぼくたち(杉原千畝とその家族)は、やろうじゃないか。

 

わたしは、外交官としては、外務省にそむいて、まちがったことをしたのかもしれない。しかし、わたしをたよりにしている何千人もの人を見殺しにすることはできなかった。

 

そして、それは、正しい行動だったんだね・・・・・

  

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

う~ん。もう泣きそうだ(T_T)

 

ここで何点か整理をしその後の千畝さんの生涯についても紹介します。

 

①まず、戦争中、ドイツと日本は同盟国であり、日本政府はユダヤ人を救う行為を暗に禁じた。

②千畝は、それをわかったうえで、省令にそむきビザをだした

③エリート官僚だった千畝だったがその後、閑職にまわされ、戦後、外務省からリストラ

④静かな生活を送っていた千畝を、命のビザで救われたユダヤ人達が探し出し名誉回復のため奔走した

 

国際的に残虐な面ばかり強調される日本人の戦争時のエピソードのなかで、これだけ明確な「正義」があったでしょうか?

そして不可解なのは、外務省の杉原に対するサボタージュです。戦争も終わり、本来、英雄になっておかしくない千畝をリストラに追い込むばかりか、行方をさがすユダヤ人にたいし、本省から「該当人物なし」との返答を繰り返していたとの証言もあります。

 

千畝さんの偉業と、みにくい?嫉妬。

実は、ユダヤ人から賄賂をもらっていたとの偏見もあり退職を迫られたというのが真相のようです。それは、正義の人、千畝さんへの嫉妬と、同じ外交官でありながら正義を選べなかった99%の役人のひがみ根性の塊っと理解できます

 

こんな村意識にヘキヘきするのは私だけでしょうか?

それは戦後68年がたっても、いっこうに解決されない日本の病巣だと断言します。

 

千畝さんの発行した「命のビザ」は記録が残っているだけでも6000枚を超えています。また、「日本のシンドラー」と言われますが、シンドラーが救った命は1200名。数で競うものではないですが、この偉業は、後世に語りつぐべきです。

 

 

千畝さんは、最期まで国内での名誉回復はならず、外務大臣による訓告があったのは死後・・・ しかしイスラエルでは、外国人に贈る最高位の勲章を千畝さんに贈呈しています。いまも、救われた6000名のユダヤ人の子孫が、家族をふやし1万人をこているとも言われており、「CHIUNE]と名前をつけたり、この逸話を語りつないでいるそうです。

実際、東日本大震災の際も、千畝さんへの恩返しをするのはいまだ!っと、国内外、世界中のユダヤ人が団結し多くの浄財を寄付いただいたと報道されています

 

正義をつらぬくことは、これほどまでに過酷で、そして暖かいものなのか・・・

 

家族にとっては、やせ我慢を強いられた半生だったかもしれませんが

これは「正義」。そしてこんな立派な日本人がいたことを子どもたちに伝えていってほしいものです

 

あなたは正義のひとになれますか?

ぼくは成れそうにないので、引き続き、家訓の旅をつづけ答えを探していくつもりです

 

杉原千畝さん、そして一人芝居をつづけている水澤さん。そしてこの劇を設営してくれた白澤さん、ありがとうございました^^