家訓をもつ偉人伝⑤ 「上杉謙信」
1.心に物なき時は心広く体泰なり
2.心に我儘なき時は愛敬失わず
3.心に欲なき時は義理を行う
4.心に私なき時は疑うことなし
5.心に驕りなき時は人を教う
6.心に誤りなき時は人を畏れず
7.心に邪見なき時は人を育つる
8.心に貪りなき時は人に諂うことなし
9.心に怒りなき時は言葉和らかなり
10.心に堪忍ある時は事を調う
11.心に曇りなき時は心静かなり
12.心に勇みある時は悔やむことなし
13.心賤しからざる時は願い好まず
14.心に孝行ある時は忠節厚し
15.心に自慢なき時は人の善を知り
16.心に迷いなき時は人を咎めず
上杉 謙信(うえすぎ けんしん) / 上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)は、戦国時代の越後国(現在の新潟県上越市)の武将・戦国大名。後世、越後の虎や越後の龍、軍神と称される。
内乱続きであった越後国を統一し、産業を振興して国を繁栄させた。他国から救援を要請されると秩序回復のために幾度となく出兵し、49年の生涯の中で多くの合戦を繰り広げた。特に5回に及んだとされる武田信玄との川中島の戦いは、後世たびたび物語として描かれており、よく知られている。さらに足利将軍家からの要請を受けて上洛を試み、越後国から西進して越中国・能登国・加賀国へ勢力を拡大した。
上杉家は、その後幕末まで、家名を守り抜き江戸時代有数の雄藩として、今なお語り継がれています。
辞世の句は
「極楽も 地獄も先は 有明の 月の心に 懸かる雲なし」
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今回ご紹介するのは上杉謙信の家訓です。
上杉謙信は、「義」の武将として知られ、幾度となく戦った戦すべてが、他国からの要請による出兵で、煩悩の塊?のような男が競いあった戦国期にあって異質な印象をもつ武将です。
とくに有名なのは、生涯の敵であった武田配下の領民が塩不足に困る窮状にさいし、
「私が貴公(信玄)と戦うのは弓矢であって、米や塩で戦っているのではない。これより先、塩が必要ならば我が国から供給しよう。」
っと塩を送ったという故事があげれます。この逸話は、「敵に塩をおくる」として今なお慣用句で使われています^^
また、信玄も、自身の死に際し、息子・勝頼に「いよいよのときは、謙信を頼りなさい」と遺言を残していたという話も残っています。
強敵と書いて、【とも】。ジャンプくさいですが、これもいい話です!
義の将、謙信。そもそも「義」とは、孔子のとく「仁・義・礼・仁・智」の1つです。広辞苑では、その意味を、
【義は人間の行動・志操に関する概念であり。義人とは「堅く正義を守る人。わが身の利害をかえりみずに他人のために尽くす人】と記載しています。
そんな謙信が残した家訓をよむと、すべての段落の最初に「心」というキーワードがはいります。
聖人君主の代表のような謙信公ですが、これだけ「こころ」を強調するのは、自分が弱い存在だと自覚していた証拠だとおもいます。人間は欲深き生き物。少しでも楽をしたいし、ちょっとずるしたい自分がいるのも事実です。そんなとき、何を糧に生きればいいのか? 謙信はシンプルにその答えを自分の「こころ」っと置き換えたのでしょう。
辞世の句では、こんな句を残しました。
「極楽も 地獄も先は 有明の 月の心に 懸かる雲なし」
そして家訓二ストは、辞世の句に「こころ」を入れ込んだ高杉晋作の句も紹介します
「おもしろき こともなき世を おもしろく 住みなすのは 心なりけり」
いいことも、悪いことも、それをジャッジするのは「こころ」
面白いこと、そうでもないこと、でもそれをジャッジするのもまた「こころ」
どんな困難も笑いに変え、エレルギーにかえられる「こころ」をもてば
あなたは、人生の勝者です。
愛犬に無視されても、阪神が負けても、楽しめる?そんな男に家訓二ストもなりたい・・・
あなたは、自分の大切なひとにどんな言葉を遺したいですか?
謙信とて人の子。飯もくえば、クソもする。それはあなたも僕も一緒です。
大切なのは、そんな「ことば」を自分自身が守れるか・・・
それは戦国時代じゃなくても、たったいま、10秒後からできることです。
義の男、謙信。
あなたも「こころ」の「義」を守り、家訓づくりで、格好いい背中を作ってください!
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