日本人なら米を喰え!~「感じる」宗教と「信じる」宗教

 

あなたは、「いただきます?」の本当の意味をいえるでしょうか?

 

 

お百姓さんに、いただきます。

つくってくれたお母さんにいただきます。

太陽や、風にいただきます。

米粒にやどる神様にいただきます。

命をいただきます・・・

 

共通しているのは、「もったいない」という感覚より崇高な、別の次元の感覚です。

家訓二ストは、これを「感謝」と捉え、さらに「ご飯を残さない」→「感謝を行動であらわす」ことと定義し、家訓づくり。さらに姉妹プログラムの徳育ゼミナールで紹介させていただいています。

 

「ごはんつぶを残すと目がつぶれる!」

おとんや、おかんに言われた迷言?も、日本に受け継がれた崇高な精神の結晶なのです

このように、科学的にいえば、カロリーを摂取するだけの食事において、「米粒を残さない」ことは、合理的でない違うニュアンスが含まれることがわかります。これは、「理念」の問題と仕訳でき、またこれを二ストは、「宗教」と考えます。

 

一般に、西欧では、「信じる」宗教。そして日本には「感じる」宗教と言われています。

 

現代の日本に暮らす多くの人にとって、宗教とはどこか遠い世界の事柄のようにとらえがちです。また、特定の宗教を信じない無神論者が多いことでも知られています。

 

しかし、本当にそうなのでしょうか?

最近、ネットでみつけたこんな記事を紹介させていただきます。

 

(東工大教授 上田先生のインタビューより)

 

私も東工大で必ず年に1回、学生にいやがらせの質問をするのです。

「この中で宗教を信じている人、手を挙げてください」と言うと、200人の教室で2、3人の手が挙がる。クリスチャンとして洗礼を受けている子や創価学会の子は手を挙げる。でも、みんなにヘンなヤツだと思われるから、挙げない子もいると思うんですね。「じゃあ、何も信じてない人、手を挙げてください」と言うと、みんなバーッと挙げるんですよ。「その中で初詣に行ったことのある人」と言うと、手を挙げる。「その中でお守りを持っている人、持ったことのある人」と言うと、手が挙がって、カバンの中に持っている子がいるんです。「じゃあ、あなたたち、宗教を信じていないのなら、ここにハサミがあるから、そのお守りをズタズタに切って」と言うのです(笑)。

 

「宗教なんか信じてなくて、神様も信じてないなら切れるだろう?」と言うと、「ダメです。そんなことできるわけないじゃないですか」とうろたえる。「何でできないんだ?」と聞くと、「バチが当たる」と。「誰がバチを当てるんだ?」「神様のバチが当たる」って。「おまえ、神様を信じてるのか?」「いや、神様なんて信じてません」と。「じゃあ、切れよ」って、そこで押し問答になるわけです(笑)。

 

 

http://toyokeizai.net/articles/-/22709?page=2

(↑ 全文はこちら)

 

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お守り・・・切れない(><)

あと、お守りの中も、見れない・・・

そして、お米、粗末にできない^^;

 

いずれも、多くの日本人に共通する「感じる」宗教観の象徴的な事例です。

 

唯一の神を信仰する「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラム教」

その他にも、仏教、ヒンズー教・・・っと、世界にはたくさんの民族、そしてたくさんの宗教があります。

 

しかし、日本に横たわる「感じる宗教」には、特殊な特徴があります。

①教祖がいない

②教義もない

 

ねっこれが宗教なの?っというぐらい象徴的でもあり、なおかつ自由すぎる印象はないでしょうか?

教義がないから、罰則もない。決まりもないから、仏教もキリスト教も、自然に受け入れることができる寛容さも持ち

なおかつ、漠然とした正義感のもと、社会の秩序をなんとなく保っている!

 

日本人が世界に賞賛される理由も、日本人が、世界からちょっと理解されない理由も、この感じる宗教と、信じる宗教のギャップが由来していると家訓二ストは考えます。

 

「感じる宗教」にあえて、教義を付け加えるなら【お天道さまは見ている】という素朴な哲学です。

 

前述の上田教授のことばを借りると、エッチな本を読むときに、仏壇を閉じるのが日本人^^;ということらしいです。

つまり、どこかで見られている感。そしてご先祖さんに、見守られている感を象徴する事例です

 

お天道さんが見ているとき、ひとは、自分の胸に手をあて、【良心】に沿っているのか?

はたまた、どこかで見ている?ご先祖さんに合わす顔があるのか?無意識に判断していくことになります。

 

そしてそしてそして

家訓二ストが開発した家訓づくりプログラムは、家訓づくりを通じ、伝えたい言葉を探すことによって、己の【良心】をみつめなおすことを目的としています。

 

あなたの良心はなんですか?

そして、あなたの生き様は、ご先祖さんに恥ずかしくない生き方をしていますか?

 

信じる宗教と感じる宗教。

まずは、家訓づくりを信じて、そして感じてください^^