家訓づくりでは、本当のヒーローは誰なのか?そんな質問をさせていただきます。
子ども達にきけば、「ウルトラマン、仮面ライダー。そして、アンパンマン」っと元気に答えてくれます。・・・が、どれも架空?のヒーローです。100歩ゆずって野口英雄や、日本にいる多くの偉人達。あるいは、間髪いれず、お父さん、お母さんをヒーローといって欲しいと家訓二ストは考えます。
でも、日本のヒーローって、どこか影があり、どこかユーモラスで、そして高い道徳心をもっていませんか?家訓二ストにとっても、ヒーローは、ウルトラマンだった気がします^^;
10月13日 「あんぱんまん」の作者、やなせたかし先生が逝去されました。
大正生まれの94歳の生涯。実は、あんぱんまんが、アニメ化され人気を博したのは、70歳を過ぎた頃。かなり遅咲きの作家とも言えそうです。
日本のヒーローには、どこか影がつきまといます。
鉄腕アトムは、死んだ息子そっくりのロボットをつくった天馬博士が、「やっぱりこれはトビオ(息子)じゃない!」っとワガママを発揮して、ロボットをサーカスに売り飛ばされるところから始まります。・・・重い(><)
仮面ライダーは、悪の組織に改造されてしまった人間。ウルトラマンも、怪獣を倒す時、本当の正義について悩みながら格闘?しています。
そして、アンパンマンは、究極の自己犠牲を払い、自分自身を食べさせることで、困ったひとを救います・・・
そもそも「あんぱん」は、明治時代、木村屋によって発明された文明開化を象徴する食べ物です。
パンという西洋の食べ物に、アンコという日本古来の素材を組合せ、以降、和魂洋才という言葉で、以後の日本の発展、なにより多くの日本人の「食」を楽しませてきました。
学校での徳育教育の必要性をよく議論しますが、ロストジェネレーションといわれる平成の日本人にとって、誇り高き精神性と伝えてきたのは、先生でもなく、家訓でもなく、アンパンマンをはじめ、幾多のヒーローだったのかもしれません。
改めて、やなせ先生のご冥福をお祈りし、その偉業を称えます。
あんぱんまんのマークの入った食品って、よく子供たちが食べてくれるんですよね^^それだけで、食の細い子どもに悩むお母さんにとっては、アンパンマンはヒーローなのかもしれません
あんぱんのゼリーいちご味っとか、あんぱん感ゼロやんっと言っていた自分が恥ずかしいです。
改めて先生の偉業を称え、雲となり空にのぼるアンパンマンと一緒に合掌です。
wikiから、先生の生涯を紹介させていただきます。
ヒーローとしてのアンパンマンが誕生した背景には、やなせたかしの従軍経験がある。戦中はプロパガンダ製作に関わっていたこともあり、とくに戦いのなかで「正義」というものがいかに信用しがたいものかを痛感した。しかし、これまでのヒーローは「正義」こそ口にするが飢えや空腹に苦しむ人間へ手をさしのべることはしなかった。戦中、戦後の深刻な食糧事情もあり、当時からやなせは「人生で一番つらいことは食べられないこと」という考えをもっていた。50代で「アンパンマン」が大ヒットする以前のやなせは売れない作家であり、空腹を抱えながら「食べ物が向こうからやって来たらいいのに」と思っていたという。こういった事情が「困っている人に食べ物を届けるヒーロー」という着想につながった。アンパンマンと「正義」というテーマについて、やなせは端的に「『正義の味方』だったら、まず、食べさせること。飢えを助ける。」と述べている
また別のインタビューでも、やはり「究極の正義とはひもじいものに食べ物を与えることである」と述べている。さらに主人公をあんパンにした理由を「外の皮はパン=西洋、内側はあんこ=純日本。見た目は西洋でも心は日本人である。」と解説している。かつて、たびたび起こった「顔を食べさせることは残酷だ」という批判にも、「あんパンだから大丈夫です」と冗談めかして反論していた。
空腹の者に顔の一部を与えることで悪者と戦う力が落ちると分かっていても、目の前の人を見捨てることはしない。かつそれでありながら、たとえどんな敵が相手でも戦いも放棄しない。これらの点について「ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そしてそのためにかならず自分も深く傷つくものです」第1作『あんぱんまん』のあとがきよりと、自身が絵本のあとがきで語っている。
そしてアンパンマンは食べられることはあっても、食べることはない。それは単純に(カレーパンマンやしょくぱんまんとは異なり)アンパンマンが食事をする場面が一度も描かれないことにも現れている。「飲食」が大きなテーマとなった世界で、本来の「食べる」と「食べられる」の食物連鎖的な循環を裁ち切り、自らを食事としてのみ差し出す自己犠牲こそがアンパンマンのヒーロー性を支えているのである。
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