水戸青年会議所では、5月例会として「スポーツごみ拾い」を主催させていただきました。
道徳とは実践。
さらに楽しくなければ、広がりはない。
「スポーツごみ拾い」は底抜けに楽しい。そして道徳心を養い、さらに街まで綺麗になる^^
「スポーツごみ拾い連盟」では、2008年の立ち上げ依頼、全国150箇所でゴミひろい大会を実現してきたそうです。なにか家訓ニストの歩みに似ていますね^^
家訓二ストが道徳を実践するツールとして「家訓づくり」を採用したように
ゴミ拾いをツール化した試みには感服します。ここで、競技内容について紹介させてください
参加者は、4~5名でのチームでの登録となります。
競技は、チーム対抗戦で1時間の制限時間内に、ゴミの重さ、種類等で得点を競うスポーツ?です。
家訓ニストも含め、ポイントカードに弱い人間の心理を上手に利用したのが特色で、10分、20分っと時間がすぎる度に、めんどくさいゴミ拾いが、ゴミ(ポイント)を探して必至になっていく自分がいました^^;
「ゴミ拾いっ」という作業に、スポーツという「エッセンス」をいれたことが素晴らしい!
嫌々やる運動に、広がりがないが、楽しいものはほっといても広がるもの、このゴミ拾い、すごい可能性を秘めています
ノーベル平和賞のライバルがまた1つ増えました!
子供たちとゴミを拾う中で気づいたのが、裏通り。なおかつ手入れの行き届いていない駐車場でのゴミの多さです。とくに空き缶、そしてタバコのゴミが多すぎます( ̄^ ̄)
綺麗なとこでは、捨てづらいものも、周りが汚れていると捨てやすく感じるのが人間の弱さ。それは、「良心」との戦いでもあります。
綺麗な国として有名なシンガポールではポイ捨ての罪が非常に重く、何十万という罰金がまっています。さらにゴミの原因となるガムの販売規制があるなど、日本人の感覚では、やりすぎ?という感じではないでしょうか
罰があるから、捨てない。ではなく、おのおのの良心で、ゴミを捨てない自分でありたいものです。タバコの吸殻は、捨てる大人にとっては、些細なことかも知れませんが、隅々の吸殻を集めて歩けば、街を汚す原因、ずるい大人の象徴にさえ思えてきます。
汚いところでは、「俺も捨ててもいいやっ」と、良心のハードルがズズッと下がるのが人間です。これは、ゴミだけでもなく、日常生活でも同じことがいえるのでないでしょうか?
聖人君主になる必要もなく、おのおのが、おのおのの良心と向き合う日々を切望します
道徳とは、実践。
良心づくりには家訓づくりプログラム。そして、スポーツごみ拾いがお薦めです。
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