斉昭公と水戸徳川家の家訓 ~前篇~

画像:弘道館をさす斉昭公
画像:弘道館をさす斉昭公

5月18日 水戸青年会議所では、第2回「寺子屋」として、水戸城跡を子供たちと散策するツアーを企画しました。

その際、斉昭公を紹介する紙芝居を実演させていただきました。

 

今回は、全編、後篇とわけ、水戸徳川家と家訓。そして現代にも続く多大なる影響を考察してみたいと思います。

 

 

水戸家の家訓とは、「どんなことがあっても天皇家を守ること」だったといわれています。

これは、神君家康より指示だったとも言われ、家康の11男、水戸藩初代頼房より代々続くものでした。

 

戦国の世を勝ち抜いた家康は、お家を守る様々な策を講じます。武家諸法度や、外様大名の置換。豊臣家の駆逐・・・

そして、究極の保険?として、11男、自分の最後の息子に徳川宗家でなく天皇家を主君として仕えるよう指示をだしました。

 

万が一、徳川家がなくなっても、水戸家だけは残る?そんな計算だったかもしれません。そして、実際、明治維新がおこり徳川家は歴史の表舞台から去りますが、「家」は、いまも残っています。

しかし300年の時をへて、家康のリスクヘッジが、最後の将軍、慶喜を輩出し、そして、水戸学に流れる「尊王攘夷」の思想が、明治維新という革命の導火線になった事実。

 

倒幕と、尊王の思想は、いずれも水戸の地とより発しつつ、徳川最後の将軍が、水戸藩の慶喜であった皮肉・・・。メビウスの輪のように水戸を中心に、歴史が変動した維新の胎動期、ブログの前編では、慶喜公の父、第9代藩主・斉昭公の生き様を紹介させていだきます。

 

斉昭は、1800年~1860年をいき、56年のペリー来航、そして59年の安政の大獄での蟄居。そして、その死後61年には、大獄に反発した浪士により大老井伊をうつ桜田門外の変がおこります。

明治維新の胎動期、歴史は「斉昭」を中心に動いていました。

 

幕閣(国政)に関わるだけでなく、斉昭の治世は、後世でも語り継がれるものです。

ペリーを代表する西欧列強の目的は、友好などという優しいものでなく、日本の植民地化。目の前の日本の危機、水戸の危機に、斉昭は次々に施策を打ち出します

 

国防の面では、異国との戦にそなえ、大砲の鋳造に着手。西欧の文化にならい那珂湊の地に、反射炉を建設し国内での鉄鉱石の調達にも成功し、武器の供給源となる「鉄」の鋳造に成功した。

尊王攘夷の言葉だけをとると、「尊王」(天皇を崇拝すること)「攘夷」(異人を排除する)ことになりますが、外人を排除するだけでもなく、斉昭は、よいものはよいっと、西欧列強の技術を積極的にとりいれる合理的な面を強くもっていました。

 

そして、特質すべきは、当時日本一といわれた藩校・弘道館の建設である。そして結果的に、息子である慶喜をこの学び舎から送り出し、最後の将軍として、植民地化をさけるギリギリの選択をまかすこととなります・・・(詳しくは後篇で^^)

 

財政的にも豊かではない水戸藩であったが、斉昭の英断は、以降学びの聖地として、吉田松陰をはじめ多くの志士達に多大な影響を与えていくこととなった。

さらに、弘道館の付随施設として、「偕楽園」を建設。良く学び、良く遊ぶことをも奨励し、「一張一弛」の関係の中、人間性を磨く最高のツールを水戸の地に遺している。

 

この弘道館の真ん中には、「聖域」と呼ばれる場所があります。

孔子廟、鹿島神社、弘道館記碑がそれぞれ建ち、学芸員さんのお話では、水戸を囲む吉田神社、静神社、大甕神社等、5つの神社の交差する地点が、この「聖域」だそうです。この聖域には、斉昭がのこして要石歌碑が今も鎮座しています。

 

歌はこんな歌です。

 

「行く末も 踏みなたがへそ 蜻島(あきつしま)大和の道ぞ 要なりける」

 

意訳:神道を尊び、道徳を行く末まで伝えることが教育の要である 

 

 

神道には、ひろく天皇家への崇拝の念もふくまれるだけでなく、中国より伝来した孔子のとく「道徳」を、融合し、さらに「伝える」姿勢には感服するばかりです。

弘道館の由来は、弘く道を説くこと、論語でいう「人よく道を弘む。道、ひとを弘むにあらず」よりの出展です。

 

ひとの行動が、道徳をひろめます。道徳がひとをひろめるわけではないのです。

う~んここで「知行合一」も触れたいのが、時間がない(><)

 

ひとの行動が、道徳をひろめます。道徳がひとをひろめるわけではない。

家訓二ストが取りつかれたように「家訓づくり」を弘める理由が今わかりました!

 

道徳とは実践。家訓づくりで旅をしろ!っということもなく

それはお天道様に恥ずかしくない生き方をし、そしてそれを伝えひろげることを意識ください。

 

歴史遺産に溢れた水戸の地。残念ながら水戸に生まれなかった皆様も、江戸時代徒歩で向かった水戸まで、スーパーひたちに乗って東京から1時間5分。駅からあるいて10分で弘道館です。

それも叶わぬあなた、わが家訓づくりプログラムで、水戸に流れる優美な「学び」を体感し、道徳の実践者たることを祈念します!

 

ブログ後篇では、水戸家の家訓。「どんなことがあっても天皇家を守る」この家訓が日本を救った奇跡を紹介します。どんなことがあったのか? つづきもチャンネルはこのままで^^