中崎タツヤ先生に学ぶ「躾(しつけ)」の秘密

画像:ぼくのバイブル
画像:ぼくのバイブル

中崎タツヤ先生は、見開き2ページの短編を中心に執筆する漫画家です。代表作は、「じみへん」!って、一般的にはマイナーな存在かもしれませんね(^_^;)

 

先生の作品の特徴は、ヘタウマな絵、シュールすぎるギャグ、そして落ちてるような、すべっているような、読み終えた後の虚脱感です。

今回は、先生の作品「悶悶サラリーMAN」6巻より こんな作品を紹介させていただきます。

 

A:「近頃の中学生の事件どうよ?」

B:「オレは、やっぱり家族における躾の問題じゃないかと思う。今はそれが欠けてる」

A:「人間は今だって、躾はしてるさっ」

B:「ただ躾というのは、今も昔も、親が自分で考えたものじゃなくて、共同体が要求したものなんだよ」

A:「わかるように言ってくれないか?」

B:「つまり躾とは、生きるノウハウなわけで、昔はテクノロジーが発達していなかったから人間は一人では生きていけなかった。地区とか、地域で結束する必要があったんだ。

  「人が生きるということは、即地域の一員になることだ、そこから外れては生きていけない、だから昔の人は、人様に迷惑をかけるな!っと子供に言う。ところが、テクノロジーの発達で人と人と付き合わなくても生きていけるようになった。つまり共同体が壊れたんだな」

  「現代の都会というのは、そういう性質のものなのだ。っで、今残っている共同体は何か?それは職場だ。金を得るための共同体だ」

A:「そうか、今生きるノウハウというのは、会社で生きるということな訳で、それは親は子供に勉強しろ、勉強しろっと叩き込んでいる。それが会社という共同体の要求なのだな」

B:「つまり家庭の躾では、事件はなくならない。共同体は、別のものを・・・

 

 

っという話を、散歩中の犬が話すっという作品でした^^

道徳や、躾をざっくり「ライフスタイル(生活様式)」の問題っと、言い切る気持ちよさが素敵です!

教科書や、社会問題、はては有害漫画?を、規範意識をなくす原因だと論じてしまいがちですが、先生の視点はその先を教えてくれます。ちょっと前まで、共同体で管理していた水や、洗濯?あるいは食事まで、次々に発明された電化製品は、便利な生活をわたしたちに提供してくれました。しかし便利さの代償は、お金で払うため、現代人は、必要以上の「労働」を強いられます。

 

「金で買えないものはない!」っとホリエモンは言いましたが、真実はその辺にあります。

金で買えないものは、なんとか見つけられそうですが、金以上の価値観は、もはやないのも真実です。いつのまにか、神秘という神がいなくなり、共同体もなく、もはや現代に人間はいないのではないでしょうか?

 

私たちこそが、人間なのに、わたし達自身が、人間を否定するパラドックスが、この社会を覆っています。

金よりも大切なものを教えてください・・・ たぶんそれがあなたの伝えたい言葉、つまり「家訓」になるはずです!

 

中崎タツヤ先生に学ぶ哲学は、家訓二ストのバイブルです^^

また気が向いたら、他の作品も紹介させていただきます