家訓づくりが、なぜノーベル平和賞を受賞するのか?
東日本大震災を例にとり、考察してみたいとおもいます。
1万5000人の死者。行方不明者2000名の東日本大震災から2年と2日。
一向に進まない復興のスキームに疑問を持つ人が多いと思います。 ぼくは、これを「バンソーコ型スキーム」と呼んでいます。 身体はヨレヨレ、出血多量で死にそうな街に傷口にバンソーコを貼って意味がありますか?
いま求めれる施策は、、風邪をひかない体作り、 地域を構成する最小の単位からのボトムアップ。これが、残された人類の希望、【家訓スキーム】の提言となります。
国のバンソーコのロジックはこうです。
①防災のための防波堤をつくる
②微妙な安全を確保する
③ ①の過程で、地域にちょっとこり雇用がうまれる
④ 地域が復活したらいいな~ ぐらい
上記のロジックの反論するとこうなります。
①防波堤では、命が守れない(田老地区の通称「万里の長城」の巨大防波堤で証明)
②安全は確保できていない(結局、逃げるしかない)
③雇用の確保は、期間が限定的
④「いいな~」では地域は復活しない
幡谷が考える最強スキームはこうなります。
①命を育むための【家訓づくり】
②経験を伝えるための【家訓づくり】(結論である「とにかく逃げろ」これを伝えるツール
③新しい家族をつくる【家訓づくり】 (雇用の前にまず家族。)
④輝く未来をつくる【家訓づくり】
うん、うん、ノーベル平和賞に2歩前進^^
あきらめることの尊さ。自然の猛威は、人知を超えていることは明らかです。ここで防潮堤を何メートルかさ上げしても、焼き石に水。それなら、「あきらめる」ことを選択すべき。そもそも国もあきらめている癖に、そういわないのもずるい。
中途半端な安心感が、一番怖い。ここは、防波堤に投資をせずに、直接家族に投資する施策が正しい選択になります。
報道の中でも、守り伝えることの重要さ・・・っという視点がようやく出てきました。
経験を伝えることで、「教訓」になる。被災地でこそ、その経験を伝えること、そしてそれが代々に渡り継承されるスキーム【家訓づくり】が重要になります。
商店街だけ、復興してもだめ。ひとがいない街に仮設で商店街をつくってもダメ、さらに元々弱ってきた地域に、ひとを読み戻す施策をうっても、病人にユンケルを飲ませるようなもの。ここでの選択は、住民の回帰に加え人口の流入をはかることです
同情でなく、被災地を憧れの土地にしていくことで、未来にまぶしさが誕生します。幡谷はここに雇用を確保する施策として、宮崎駿ランドの建設を提言します。その他にも、ジオン公国、戦艦大和の復活・・・っと、荒唐無稽のようにみえて、1000億、2000億の投資で、ひとを呼び込むランドマークができれば、雇用もうまれるし、居住人口も確保できるはずです。
そのうえで、「家訓都市」を宣言、全市民に家訓の唱和を義務付け、家族の価値、そして100年後、1000年後を見据えた価値観の継承を図るほうが現実的でしょう。
守ってももらえない防波堤をつくるぐらいなら、逃げることを前提にした街づくりを計画。
さらに、家訓の唱和で、防災意識を担保し、さらにコンクリートに向かう資金で、宮崎ランドを建設!
夢想かもしれませんが、バンソーコスキームより現実的だとおもいます。
ナウシカの谷を再現し、腐海には、実物大の王蟲。
千と千尋の湯屋もいい、カリオストロの城も建てたい、トトロがいる街をコンセプトに街を造成したら、入居者殺到では? 海辺には、魔女の宅急便の街が再現され、一大観光地となり、空をみあげれば、ラピュタが・・・
航空力学上、ラピュタは無理か(><)
でも、そんなとこに行きたくない? そんな街で子どもを育てたくない?
なくなった街は可能性という白いキャンバス。
そこに自由に絵を描くことこそが、「知恵」。役人が考えるチープなロジックは捨てましょう
戻すのでなく、創る街。
家訓づくりは、家族という社会を構成する最小の単位で、創る街を応援します^^
そして、世界からあこがれをもって称賛される街が誕生し、2040年 ノーベル平和賞を受賞することになりますが、それはまた別の機会でっ^^
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