家訓づくりプログラムは、家庭での「教育」について新しい視点をお届けするものです。とかく学校にまかせきりになりがちな、「教育」の在り方について、多種多様な教育を実践していた江戸時代の藩校を例に、ディープに考察したいと思います。
国に200の藩校が乱舞した幕末にあって、その随を競ったのは、会津・「日新館」。長州・「明倫館」。薩摩・「造士館」。そして我が水戸藩の「弘道館」と言われています。
先日の日本JCの未来を切り拓く日本人育成会議では、会津・日新館を会場にさせていただきました。深い雪のなか、全国から集う仲間と研鑽を高めあうこと、是まさに「学び」なり^^
同じく江戸時代にあっても、学びのために、師を求め出向く事例は数多く、吉田松陰先生は、弘道館、日新館に訪れた記録が残っています。
長州から、水戸、そして会津と、徒歩での旅となれば、半年ぐらいはかかったのではないでしょうか? それだけのコストを払い、松陰が学ぼうとしたものは、何だったのか?
分からないから、学ぶ。分からないから、知っている人を訪ねてみる。
案外そんなもんだったと思います。
しかし、その過程にこそ、今、学ぶべきものが凝縮されている気もします。
知識を詰め込み、脳の反射神経をたかめ、訓練を繰り返すような「教育」に人間は見えません。
師をもとめ、たった1つの真実をみつけるため全国を旅する姿にぼくは人間を感じます。
教育の多様性とは、目的の多様性なのかもしれません。
「大学にいく」という目的であれば、今施される教育に異存はありません。しかし本来目的は1つでなく、むしろ人生の数だけ、目的があるはずです。
家訓によるの親学、キャリアップ、生涯学習っと、学びの在り方が問われる時代です。そして、200年前に藩校を設立した雄藩が、その後の明治維新を担う人才を輩出していくのは偶然ではないのです。
歴史が人をつくるのでなく、人が歴史をつくるのです。
家訓ニストは、「ひとづくり」で歴史をつくります
最後に、水戸藩の弘道館設立にあたって、藤田東湖の草案になる「弘道館記」はこう記された言葉を紹介させていただきます
「道を弘めるものは人である。故に人は人としての道を学び、これを弘める使命を持たなければならない。」
「ひとづくり」を表明する水戸青年会議所では、創立依頼、数々の施策をとりニュー弘道館構想、そして今は、全ての事業を平成弘道館として、「学び」を市民に提供できるオープンソースとして運動を展開しています。人は人としての道を学び、それを弘める。それは弘道館記に記されている精神そのものです。「家訓づくりプログラム」は、人としての道を学ぶもの。であるならば、それを弘めるのもまた、必然です。
会津日新館の空気に触れ、ぼくが旅にでる理由がわかりました。
人としての道を学ぶため、そして、マイレージを貯める?ため、家訓づくりプログラムのご採用を心よりお待ちしています。とくに、ANA便がでている地域の皆様のオーダーをお待ちしています^^; できれば温泉があり、さらに地サイダーがあり、また・・・
欲深き家訓ニストも人間修行中。家訓づくりプログラムで、人の道を説くつもりもなく、暗中模索、人生の迷路からの脱出口を一緒に勉強させてもらっています(><)
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