家訓づくりプログラムは、「徳」を釀成していただくために開発されました。
でも、そもそも「徳」とはなんぞや?
その答えに一番近いものが、「教育勅語」です。
近世の歴史の中である種アンタッチャブルなイメージを持たれる勅語を、皆様はちゃんと読んだことがありますか?
本文は漢文のため、ここでは、明治神宮で紹介されている意訳を紹介させていただきます
「教育勅語」意訳(口語文)
私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。
~国民道徳協会訳文による~
ごくごく当たり前のことが、書いてある。
皆様もそう感じるのではないでしょうか?
では、「教育勅語」にまつわるおどろおどろしい雰囲気は、どこからくるものなのか?
そこには、大東亜戦争末期の軍部による独裁のなか、勅語をゆがんだ形で運用してしまった悲しい歴史があります。そしてそこからもう70年近く経って、そろそろ枷(かせ)を外してもいい時期であると考えます。
明治天皇が、國の在り方を教育にもとめ、お言葉を預かった。
そこに軍国主義につながるものも、海外の他の国の国民への恫喝も、おどしも一切ない博愛に満ちあふれた精神が、理路整然と並んでいるだけではないでしょうか?
いいものは、いい。
教育勅語は、読んでいなくても、東京にある「明治神宮」に訪れたことがある人は多いとおもいます。もしくは神宮にいかなくて、国立競技場、あるいは神宮野球場のある森に、親しみを感じる人は少なくないはずです。
都会のど真ん中に、あれだけの空間があり、そこに鎮座されているのが、教育勅語を下賜くださった明治天皇、昭憲皇后なのです。
鎮守の森は、いつでも私たちを迎えてくださる。そして、ぼくらが忘れているだけで御皇室の御霊は、われわれをたえず見守ってくださる。
森と、御皇室の在り方を重ねてはいけないのかもしれませんが、安心感とか、存在感。ことばにできない畏敬の念が、「鎮守の森」という言葉に内包されていると思います。
意識しないで、できるのが一等ですが、宿世にいきる我々には、「徳」はどうしても遠い存在になりがちです。家庭のルールを守ること。「家訓づくりプログラム」は始まりのプログラムであり、案外、答えに近いプログラムでもあります。
日本という国の「家訓」を考えたとき、やはりそこには「教育勅語」があるべきです。
家訓プログラムの次は、教育勅語プログラムかな?
そこに徳がないかぎり、幡谷の野心は、つづきます。
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