二宮尊徳とトヨタグループ

写真は、二宮尊徳先生の像です。

昔の小学校に必ずあった、「あの」像です。

 

二宮尊徳先生の偉業は、江戸時代に末期にさかのぼりますが、明治、大正、昭和という時代の中で、報恩(恩に報いる)という部分が、国への報恩、そして軍国主義への道具として使われていく過程がありました。

昭和になり盛んに立てられた尊徳先生の像も、どこかアンタッチャブルな扱いになりいつしか校庭のはじに、ひっそりとたつ、都市伝説みたいな扱いになり今に至ります。

 

これは非常に残念なことです。

日本における「道徳」の道しるべ、二宮尊徳先生を通じて、日本における「徳」のあり方を研究してみたいとおもいます

 

「徳」という概念を考えていった時、最初に思いついたのが、儒教の「徳」

具体的にはの五徳やの実践として表されるものです。

 

徳を積む。という言葉があっても具体的にどうしたらいいのか?

家訓づくりプログラム製作中は、徳についてポイント制度でカウントできないか?

そんな迷路にはまった時期もありました。

 

実態があるようでない、「徳」という概念の中、そのわりに「徳」という言葉を我々はよく使います。

 

儒教の「徳」については、孝(親孝行)が一番の大事とされています。

例えば、食糧が尽きたとき、三世代同居の家庭で誰に食糧を分配すべきか?

この答えは、「おじいちゃん、おばあちゃん」。

たとえ、子供たちが飢え死にしても、孝という宗教観の中では、親が絶対なのです。

 

あるいは、自分の父親が泥棒をしている事実を知ったとき。

西洋、あるいは日本では、これを通報する。あるいは諭すことを優先すべきと考えますが

中国の古典の例では、「一緒に泥棒をしなさい!」という過激なものです。

 

「孝」のもとでは、あらゆる社会通念、理念より大事にすべき絶対なものとして捕らえているようです。

余談ですが、親(親族)への賄賂を断れない風潮も、この「考」の概念の呪縛だともいえます

 

同じ漢字をつかっていますが、「徳」といっても、答えは1つではない

そして日本には、世界に誇るべき、独特の「徳」が存在する。

 

その礎をつくったのが、二宮尊徳先生です。 wikiを利用し、基本情報を整理します

 

二宮 尊徳(にのみや たかのり/にのみや そんとく、天明7年7月23日1787年9月4日〕 - 安政3年10月20日1856年11月17日〕)は、江戸時代後期の農政家・思想家通称金治郎(きんじろう)であるが、一般には「金次郎」と表記されてしまうことが多い。また、の「尊徳」は正確には「たかのり」と訓む。「報徳思想」を唱えて「報徳仕法」と呼ばれる農村復興政策を指導した。

 

ふ~ん・・・という感想が皆様の正直な感想でしょうか?

 

ぼくが尊徳先生の偉業を紹介するとこうなります・・・

 

儒教が盛んな江戸期にあっても、その殆どは、座学にあけくれ結論のない神学論争を繰り返すだけであった。そんな中、二宮金次郎は、「知行合一」(知識と行動が一致する様)を実践し、農民、藩士に道徳と、それにもとずいた社会づくりを行い、豊かな実りと心の芳醇をもたらした奇跡の人である。

当時のこした金言の数々は、今の時代にも十分に通用するものであり、日本における道徳の実践者としては並ぶもののいない存在である。

 

とくに金次郎の施した施策のなかでも「教育」への貢献は計り知れないものがあり、その弟子の教え子からは、のちにトヨタグループを起業することになる豊田佐吉を生み出している。

 

金次郎の価値観は、豊田の企業理念(家訓)として色濃く反映されている。

世界を席捲するトヨタの歩み、そしてトヨタが作り出す自動車を通じて、二宮尊徳の「道徳」

が世界に人々の暮らしをささえ、豊かにしている事実は、奇跡以外の何ものでもない

 

アメリカ生まれの自動車。鉄もガソリンもない日本。その日本でつくる自動車が一番の評価をうける事実を皆さん考えてみてください

 

そこには、従業員さんのたゆまぬ努力があり、その背景に、給料をもらう以上に、真摯に仕事にむきあい。さらに仕事を通じて社会貢献を担う 名前なき偉大なる市民の歴史が、車の部品1つ1つに詰まり、それが、高品質の商品を築く土壌となり、結果、自動車を、日本の名声を担うシンボルになっていると結論づけます。

 

日本の資源は、ひと。そしてそれを担う「教育」です。

 

そして二宮先生はこんな言葉を残しています

「道徳なき経済は、犯罪であり、経済なき道徳は寝言である。」

 

トヨタグループも創業来、100年。初代 豊田佐吉の姿は今はなくとも、家訓を通じ

日本に、世界に徳溢れる従業員を生み出しています。

 

二宮尊徳から、世界のトヨタへ・・・

経済なき道徳は寝言である。

 

家訓の説く「徳」も、ひろげなければただの寝言。

家訓二ストも、実践あるのみと、深く胸に刻んでいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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